2017-03

2016・12・23(金)シュトックハウゼン「グルッペン」京都市響

      京都市勧業館みやこめっせ第3展示場  2時

 京都市響の創立60周年記念特別演奏会と銘打たれた大イヴェント。

 京響の3人の指揮者たち━━広上淳一、高関健、下野竜也が3群の小オーケストラをそれぞれ同時に指揮して演奏するシュトックハウゼンの「グルッペン」が、今日のメイン・プロである。
 この演奏は2回繰り返され、その間の休憩時間に聴衆は気に入った席に自由に移動して、異なった位置から聴き直すことができる。今回はさらにジョン・ケージの「5つのオーケストラのための30の小品」も加えられたので、甚だ前衛的な(?)演奏会になった。

 会場は「みやこめっせ」の広大な第3展示場。奥の下手側・中央・上手側に1グループずつのオーケストラが配置された。
 そのそれぞれを指揮する広上、高関、下野がアイ・コンタクトを交わしつつ、互いに呼吸を図りながら指揮する光景も面白いが、何より3方向から響くオケの音塊が互いにぶつかったり調和したりしながら巨大な音場をつくるさまは、ナマの演奏でこそ味わえる醍醐味である。

 前回聴いたサントリーホールでの演奏(2009年8月31日、マルッキ他の指揮、N響)では、残響の多いアコースティックのために3群の音が調和し、管弦楽のテクスチュアの緻密さが印象づけられたものだが、今回は会場の音響がデッドなこともあって、音がそれぞれ分離し、調和というよりは対立の魅力という印象の方が強くなっていたかもしれない。
 そのため、3群のオケの音がそれぞれ「点」としての性格を強め、それらが結び合されるとしても一本の太い「流れ」にならないところが、ちょっと物足りなかったともいえよう。

 これは、会場の後方で聴いた第1回の演奏の際にも、両翼のオケに挟まれる前方で聴いた第2回の演奏でも同様だった。
 ただ後半で、打楽器陣が最強奏で呼応して行く個所だけは、「力の連鎖」とでもいうべき迫力を感じさせてくれただろう。

 いっぽう、ジョン・ケージの「5つのオーケストラのための30の小品」では、指揮に水戸博之、大谷麻由美という2人の若手も参加する。前述の3つのオーケストラに加え、後方両翼にそれぞれ1群ずつ配置されたオケと合わせての、5つの音源から交錯して響いて来る音は、すこぶるスリリングなものだった。
 ただし問題は、音楽と同時に響く「ラジオの音」である。今回は「ヴェニスの商人」のラジオ・ドラマとその解説(対談)が流されていたが、それがあまりにリアルな印象を与えるので、耳がそれを追いかけてしまい、結局、音楽を聴くには非常に煩わしく、気が散って音楽の印象さえ薄れてしまうという、逆効果を生み出してしまったのである。

 そういえば、初演(1993年8月24日サントリーホール 高関健、佐藤聡明、西村朗、松下功、細川俊夫、東京響)の際にも、「ラジオ」の部分では、あるニュースのナレーションが流れて、その内容がどぎつすぎて、音楽への注意力を逸らしてしまったのではなかったっけ? 

 とはいえ、関西でこれだけの選曲、これだけの企画を実現した関係者の熱意と努力には、大いなる賛辞を贈りたい。そもそもの「言い出しっぺ」は下野竜也だそうだが、近年絶好調の京都市響の意欲も立派なものであった。

 会場には1700の椅子が並べられたそうで、その大半が埋まっていたのだから、1600人くらいは入っていたことになるか。私は正直なところ、お客さんの3分の1くらいは休憩時間に帰ってしまうのではないか、と他人事ながら危惧していたのだが、案に相違して、ほとんどの聴衆が最後まで残って聴いていた。
 それだけに「グルッペン」の2回目の演奏の前の「席獲り合戦」は熾烈を極め、前方の席は押し合いへし合いの様相を呈した。

 こういう争奪戦がからきし苦手な私などは、とても前方の席は獲れまいと諦めていたのだが━━7年前の時には、移動の途中で名刺を出して挨拶される人とかち合ったりして、見事に失敗していた━━何と幸いにも、理想的な位置に近い席に座ることができた。というのは、この種の行動に関しては千軍万馬の強者たる元新聞記者の女性が、実に素早く中心部に進入し、他の2人の女性記者の分と合わせて4つの席を鮮やかに確保してくれたからであった。
 終演は4時35分。
    モーストリー・クラシック3月号 公演Reviews

コメント

先生、冬の京都までお疲れさまでございました。

御指摘のように、「ヴェニスの商人」は雄弁すぎたかと思います。
ケージの音楽がまるで劇伴音楽のように聞こえて、ちょっと辟易しました。

それでも、シュトックハウゼンにおける、「三本の(短い)矢」の指揮、そして京響の演奏は素晴らしかったと思います。
このお三方が振っているからこそ、京響が好調なのだと改めて思った次第です。

「グルッペン」(2016年12月23日)

当日は司会者が立てられ、3名の指揮者の話を聴く機会が設けられ、そこでこの曲が周年記念として選ばれた経緯が紹介された。指揮者3名の間で「周年記念として何が良いか」という議論があり、当初はモーツァルトの名前が挙がったが、「何か特別なもの」との視点で、下野さんから「グルッペン」の提案があり、広上さんが賛同、高関さんは「聴いたことがない」ことから、2名の提案を信頼してついて行ったということであった。
この作品が日本で上演されるのは3回目とのこと。2回目の演奏であった2009年のサントリーホール公演を聴いたのでわたしにとっては2回目の鑑賞体験。サントリーホール公演ではもう一つの曲(リゲティ「時計と雲~12人の女声とオーケストラのための~」)は最初に演奏され、「グルッペン」は席替え休憩をはさんで続けて演奏された。

記憶の中の2009年の公演は「3つのオーケストラは破たん寸前のバランスで成り立っており、その緊張感は観客席にもひしひしと伝わって来た」というものであった(それぞれの指揮者は背中合わせとは言わないが、他の指揮者はチラチラと見えるだけという配置関係だったような記憶なのだが、記憶違いかもしれない)。音が頭の上でぐるぐる回る感じが強く記憶に残っている。

今回の公演をきっかけにサントリーホール公演の情報をいろいろ探していたら以下を見つけた。http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/gr_sound.html
「サントリーホールで仮設舞台を作るとどんな音響になるのか」ということで、当時、永田音響設計がシミュレシーションをしたとのことである。このシミュレーション図を観ると指揮者が背中合わせになっていた訳ではなさそう。記憶は曖昧なものである。

今回の演奏の感想としては「調和が取れている」「こんなにまとまった曲だったのか」という印象であった。3名の指揮者は同等に実力があり、また3名の指揮者の呼吸がぴったり合っていたということだろう。3名の指揮者による練習(打ち合わせ)の時は、テーブルをはさんで、本番と同じ位置で打ち合わせを重ねたとのこと。多くの練習を積むことの効果である一方、日本人の生真面目さが出た演奏とも思えて、「破たん寸前の緊張感」という面白みは弱かったのではないかとの印象であった。

東京でのコンサートではほとんどないが、地方都市ではちょっとした記念公演では司会者を立てて、公演に親しみを加えようとすることが多い。個人的にはプログラムなど書いたもので説明していただき、コンサートはコンサートとして司会者や解説なしに楽しみたい。
今回は、各曲演奏前に3名の指揮者をそれぞれ呼び出し、司会者は初心者の立場で適切な質問をし、そこから引き出した答えは非常に有益であった(この曲の演奏を提案したのは下野さんだったなどなど)。

しかし、せっかく司会者を立てたのに残念な面もあった。間で演奏されたケージ「5つのオーケストラのための30の小品」は「楽譜はあるが、自由に演奏する曲」とのことで、楽譜を示しての説明が結構長く続いた。広い会場で楽譜を見せられても見ることができる人は前方の数人しかいない。一方、この曲は「ラジオ番組のスイッチが入れられると演奏が始まり、スイッチが切られると演奏が終る」という変わった曲であり、プログラムにはそのように書いてあるが、演奏前にプログラムは読まず、演奏が始まっても私語がかなり長く続いたのは極めて残念。せっかく、司会者を立てるのであれば、そのようなことこそ説明する必要があったのではないか。

上の方の…

上の方の記述の中で…
下野さんのグルッペン提案に対して、賛同したのが高関さん、「何それ??」となったのが広上さんではなかったですかね?
細かいことですが、面白いエピソードだったので。

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