2017-03

2016・12・9(金)ヤクブ・フルシャ指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

     フェスティバルホール(大阪) 7時

 一泊して、さらにもう一つ、大阪のオケを聴く。大阪フィルの定期の2日目だ。ヤクブ・フルシャが客演しての、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」(ソリストは河村尚子)、ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」というプログラムである。コンサートマスターは田野倉雅明。

 今日の大フィルは、端整で、正確で、精密なアンサンブルが映え、凝縮した密度の濃い音楽を響かせてくれた。久しぶりに聴く大フィルの「完璧に近い」音である。隙のない、画然たる演奏である。
 しかしこうなると、先日のインバルが客演した際のあのモーツァルトや、マーラーの「5番」第1楽章でのしまりのない演奏は、一体何だったのかと思ってしまうのだが━━。

 ま、過ぎた話はともかく、老舗の大フィルが、いざその気になればこういう精密な演奏を聴かせることができる、ということを確認できただけでも嬉しい。昨夜の大阪響の熱演と併せ、大阪まで聴きに来た甲斐があるというものである。

 フルシャは、意外にも、この「10番」を指揮するのは今回が初めてなのだそうだ。プログラム冊子にも、自らそう書いている。
 実際の演奏では、第1楽章では曲の形式感を確立するまでには行かない印象があったとはいえ、第2楽章と第4楽章ではエネルギー性も過不足なかったし、第3楽章での「作曲者自身」と「秘かな恋人エルミーラ」の二つのモティーフの対比と絡みも、それなりに巧く出していただろう。フルシャらしく贅肉のない、ストレートな表情で押し切った演奏だった。第3楽章でのホルンのソロの良さも、特筆すべきものであった。

 だが、フルシャの端整な音楽づくりの良さが発揮されていたのは、実はむしろ第1部でのベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」の方だろう。
 ここでは、フルシャの引き締まった音楽と、河村尚子の清澄でスケールの大きな音楽とが、素晴らしい組み合わせを形づくっていた。とりわけ第2楽章などでは、オーケストラの冷徹で歯切れよいフォルテのスタッカートと、ピアノのモノローグ的な最弱音による歌(いずれもまさにスコアの指定通りである!)が絶妙な対比を為し、いっぽう前後の楽章では、オーケストラの端整な進行と、ピアノの毅然たる表情とが、これまた見事な対話を繰り広げていたのである。

 河村尚子も、一段とスケール感を増した。堂々たる演奏である。
 素晴らしいなと思ったのは、例えば第1楽章の第204~215小節で、8分音符がマルカートで上行を繰り返して行く個所。このリズムを、彼女は決然と強調し、音楽に凛とした力強さを加えていたのだが、その豪快さは、他になかなか聴けないようなものであった。

 また第1楽章冒頭、ピアノのソロの最後の音(第5小節)を、彼女は驚くほど、スパッと切った。まるでオーケストラ(弦合奏)に向かい、「私はこう音楽を始めた。で、あなたには何が出来る?」と鋭い問いを投げかけるかのように。
 これは、あまりにも挑戦的な弾き方に聞こえたが、実はそれは、この第5小節のピアノの最後の音がスコアでは8分音符であることを、私たちに改めて認識させてくれたのである。
 多くのピアニストは、この音を4分音符か、時には付点4分音符くらいの長さで、じっくりと余韻をこめて優しく弾く。だが彼女は、はっきりとこれをスコア通りに弾き、この協奏曲が、ふつう考えられているような単なる叙情的な性格のものではないことを、聴き手に気づかせたのだった。
      ☞モーストリー・クラシック3月号 公演Reviews

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