2017-09

2016・12・7〈水〉川端康成/クリス・デフォート:「眠れる美女」

       東京文化会館大ホール、通しリハーサル  7時

 1961年に刊行された川端康成の「眠れる美女」をオペラ化した「House of Sleeping Beauties」。こういうオペラがあるということを不勉強にして知らなかった私としては目から鱗ともいうべきものである。
 本番は10日と11日だが、あいにく予定が合わず観に行けぬとあって、せめて衣装付き、オーケストラ付きの「通しリハーサル」でもと思い、主催者に頼みこんで覗かせてもらう。

 休憩なしの3場からなる約1時間半、なかなか面白い。
 物語は、性機能をすでに失っている老人男性を、睡眠薬で眠らされている若い裸の女性と一夜を過ごさせる宿を経営している謎めいた女将━━その2人の対話で始まる。女というものに対する男の複雑な心理が幻想的に、しかも実に美しく展開されて行くもので、これは官能的な心理劇だ。

 長塚京三(丹前姿で出ずっぱりの江口老人)と原田美枝子(女将)の、日本語による現実めいた「芝居」の部分と、各同役をオマール・エイブライムとカトリン・バルツが歌い演じる夢か現かの「オペラ」の部分を組み合わせた構成で進められ、伊藤郁女のダンス、原千裕・林よう子・吉村恵・塩崎めぐみのヴォーカルが夢幻的に絡む。

 クリス・デフォート(台本・作曲)の音楽は繊細で、静中の動、動中の静とでもいうか。ギイ・カシアス(演出・台本)も、あの「指環」でのような煩わしい動きを導入することなく、ただ背景の高所で幻想的なダンスを見せるのみだが、これもいい。東京藝大シンフォニエッタが、パトリック・ダヴァンの指揮で演奏している。
 ━━川端康成の清澄な官能美の世界だ。本番が見られないのは残念。

コメント

「眠れる美女」(2016年12月11日)

極めて上質な上演。
存在すら知らなかった「珍しいオペラ」という程度の軽い関心事から鑑賞。
結果としては、力のある歌手・ダンサー・俳優が揃い、知的でシンプルな演出・美術・映像は魅力があり、現代音楽に果敢にチャレンジした東京藝大シンフォニエッタの演奏が心地よい、たいへん興味深い公演であった。
東京文化会館開館55周年・日本ベルギー友好150周年記念を成功させようというさまざまな人のエネルギーが感じられた珠玉の小品であった。

事前に予習したのはあらすじ程度。あらすじを読んだ時、「青ひげ公の城」をふと思い描いた。実際のオペラを観ながら(聴きながら)、曲も物語も「青ひげ公の城」がチラチラと思い浮かんだ。また、「班女」という三島由紀夫原作・細川敏夫作曲のオペラのこともふと思い浮かべた(捨てられた男をひたすら待つ女)。

俳優・歌手・ダンサーがいろいろな形で登場人物を表現するというのは作品として面白い。

一番存在感があったのは「眠れる美女」を視覚的に表現するダンサー。
振り付けは最近、その名前を目にすることの多いシデイ・ラルビ・シェルカウイ。ベルギー初演公演のダンサーである伊藤郁女自身が日本公演も踊った。
東京文化会館のPR誌「音脈」の記事によれば、シェルカウイと伊藤は「いつか一緒に仕事をしよう」と約束していて実現したのが「眠れる美女」のベルギー初演とのこと。従って、伊藤ありきで成り立つ踊りであると言える。また、第3夜の振り付けは伊藤自身が手掛けていることもあり(第1夜・第2夜とはトーンが違う)、この演出作品を再演する場合、歌手、俳優は別の人でも成立するが、ダンスは彼女以外のダンサーでは成立しないのではないかという印象を持った。それほどに、伊藤の存在感は強かった。
ダンスは演出の一部であり、今後、新しい演出でこの作品が上演されるならダンスなしに成立する。そうすると作品から受ける印象は全く違ったものになるのだろう…などとも思い巡らせた。

歌手はいずれも素晴らしかったのだが、鑑賞後、時間が経過すると、歌手たちの歌よりも、2名の俳優の台詞やたたずまいが記憶に強く残った。(日本では)誰もが知る長塚京三、原田美枝子の方が、実力はあるが有名というわけではない歌手より強い存在感があるということだろう。

美術と映像は抽象的でありつつ東洋的な雰囲気が魅力的であったが、ところどころ「眠れる美女」を表現するような具体的な映像が使われる。想像を刺激する作品で、このような具象映像が登場すると想像力は途切れる。なぜ、具象的映像が必要なのかは理解できなかった。

会場で無料配付されたプログラムは簡易ながら有益だった。
川端作品がいかに多くの海外の芸術家に影響を与えたかという記事があった。ノーベル賞ウィークというべき時期に、川端康成作品が同じくノーベル賞作家であるリョサやマルケスに影響や刺激を与えたことを知り、また影響・刺激の実例であるオペラを(聞く)観ることができたいへん有意義な時間だった。

「眠れる美女」というタイトルはペローの童話とそれに基づくバレエ「眠れる森の美女」をイメージするが、プログラムの中で、「実は無関係ではない」ことがいくつかのエピソードで紹介されている。川端康成は日比谷公会堂でマーゴ・フォンテーン主演の「眠れる森の美女」を観ているという事実も紹介されている。この作品の英訳は“House of the Sleeping Beauties“ということだが、「眠れる美女たちの館」という英訳の方が内容とは合致している。

東京藝大シンフォニエッタというオーケストラの存在は初めて知ったのだが、彼らの演奏が今回の公演の成功におおいに貢献したのだから、プログラムでは、どういう団体なのかという解説が少しあっても良かったかと感じた。

会場では「眠れる美女」他の川端康成の文庫本が販売されていたが、よく売れている様子であった(「眠れる美女」は完売?)。さっそく原作である小説「眠れる美女」を購入して読んだ。小説はオペラよりさらに「死への執着・憧れ」が強いと感じた。
いずれにしても、川端康成再発見という経験ができた。「雪国」「踊り子」は既読だが、実は自分は川端康成という人をまったく知らなかったのだと感じさせてくれた。

この日の観客席はかなり年齢の低い観客も目についた。東京藝大シンフォニエッタ奏者の家族が多かったのだろうか。未就学児童以外は特に入場制限がないのかもしれないが、この作品の鑑賞には必ずしもふさわしくない印象を持った。
先般、ダリの美術展で「アンダルシアの犬」が上映されたコーナーでは、「残酷な場面があるので鑑賞注意」というような注があり、かつ、係員がいちいち説明していた。
今回の公演では趣旨は違うものの、チラシにそのようなことが一言あっても良かったのではないかという気はした。大きなお世話かもしれないが…。

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