2017-05

2016・11・30(水)「三代目、りちゃあど」

      東京芸術劇場 シアターウェスト  7時

 野田秀樹作、オン・ケンセン演出による、日本・シンガポール・インドネシア共同制作の演劇。3カ国の出演者も登場して、日本語と英語とインドネシア語の台詞により上演され、英語と日本語の字幕がつく。

 三代目のりちゃあど━━とは、もちろん、あのリチャード3世をさす。シェイクスピアの戯曲では稀代の悪王として描かれ、半世紀前にはローレンス・オリヴィエの鬼気迫る演技による映画で、更に広く知られるようになったあの英国王のことだ。

 このドラマでは、そのリチャードを身体に障害を持つ殺人鬼として描いたのはシェイクスピアのでっち上げではないのか━━などという問題を中心として裁判が行われ、りちゃあど(中村壱太郎)、シェイクスピア(茂山童司)、シャイロク(ジャニス・コー)、カイロプラクティック/シンリ―〈真理〉(江本純子)、裁判長/家元など(久世星佳)らが丁々発止の火花を散らす。シェイクスピアの原作にある台詞や設定も、いくつか引用される。
 最後にはシャイロクがある賭けの代償として、シェイクスピアに足の肉1ポンドを(逆さ吊りにして血の気のなくなった足の先を切れば血は出ないという論理で)要求するというオチもつくのだが・・・・。

 こう書くと、何かドタバタの単純劇みたいになるが、実際はすこぶる複雑だ。「歴史的事実」と「戯曲作家」との闘いがパロディで描かれるのも、そこに含まれたテーマの一つだろう。話が目まぐるしく変わる上に、日本語や英語やインドネシア語が弾丸の如き早口で飛び交うセリフ構成で進められるのだから、字幕を見たり見なかったり、時にこちらの集中力が追い付かぬこともある。

 結局、りちゃあどがどう騒いだところで、シェイクスピアが圧倒的に優勢であることは、野田秀樹が「作家」としての立場で書いた芝居であることからも、想像がつくというものだろう。
 戯曲作家という存在の絶対の権力、恐ろしさ、敢えて言えば傲慢さというものを思い知らされたようなドラマではあったが、それでいながらわれわれは、戯曲作家には絶対の信頼と敬意を抱いてしまうのだから、どうしようもない。

 舞台には、前述の3カ国の言葉の他にも、歌舞伎や狂言の台詞回しや演技、宝塚のミュージカル的要素(これは久世星佳の独壇場)、バリ島の人形(?)の影絵などが同時に交錯して、これが不思議な面白さを出す。
 演出家は、現代日本の多様性・複雑性を舞台化したいというコメントをプログラム冊子に載せていた。昨日のトリフォニーホールでの「歌舞伎とシェイクスピア」は、その多様性各々にお互いが敬意を払い過ぎて中途半端に終わる結果を招いたが、今日の演出家オン・ケンセンは、それらを遠慮会釈なく一つの舞台に投げ込み掻き混ぜて、多様性に相応しいコラボをつくり出していたのであった。

 余談だが、追い詰められたリチャード3世が叫ぶ有名な台詞「A horse! A horse! My kingdom for a horse!(馬をもて! 馬をもて! 馬を持って来た者にはわしの王国をやるぞ!)」が、昔の名画「スタア誕生」(ジュディ・ガーランド、ジェイムズ・メイスン主演)の「英和対訳シナリオシリーズ」(国際出版社刊)で、「馬だ、傾国の名馬だ」という、とんでもない誤訳がされていたのを思い出す。こんなことを覚えているのは、そのあとに観たオリヴィエ監督・主演の映画「リチャード3世」に、あまりに強烈な印象を与えられたせいもあるだろう。

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