2017-05

2016・11・25(金)ダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団

    東京芸術劇場 コンサートホール  7時

 この日はジョシュア・ベルがソロを弾くメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」と、マーラーの「交響曲第5番」。昨日が「3大B」なら、今日は「2大M」か。まさかそんなシャレでプログラミングされたわけではなかろうが。

 メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」の演奏が、ダントツに面白い。
 ハーディングは、前日のブラームス以上にメリハリの強いリズム感と激しいダイナミズムでオーケストラ・パートを構築、普通なら優美華麗に演奏されるこの曲を、著しく攻撃的な表情に変えてつくり上げた。
 しかもジョシュア・ベルがそれに輪をかけ、あたかもオーケストラとの決闘のような勢いで演奏するのだから、ますますスリリングなメンコンになる。第2楽章にも、甘美なロマンティシズムとは異質な緊張感が漂う。
 第3楽章も、疾風のごときモルト・ヴィヴァーチェを強調した演奏だ。ただし、その終り部分で、激しい動きを保ちながらも音楽がいっとき形だけの空虚な状態になるのが感じられたのだが━━このあたりは、ハーディングの若さが露呈したもの、といっていいかもしれない。

 なおジョシュア・ベルは、第1楽章のカデンツァを、メンデルスゾーンのスコアに従わず、自作のそれに置き換えて演奏していた。
 それは激しく暗い曲想のもので、かなり自由にやっていると見せながら、実はよく聴くと、それはメンデルスゾーンの原曲の原型に基本的に従いつつ、それを変奏というか、デフォルメというか、変形させて進めて行っているということが判る。その暗黒の白昼夢のような世界に次第に明るさが戻って来て、音が原曲のアルペッジョに復帰した瞬間、オーケストラがすかさず入って来た時には、巧い、やった!と拍手を贈りたくなるような気持になった。
 こういう手法は愉しいし、また定番のこの曲に優れた感覚で新しい血を導入した演奏というのも面白い。

 休憩後には、マーラーの「5番」。これも激烈で大スペクタクルの演奏である。第1楽章でフレーズが全合奏で下行して行く個所など、音が地響き立てて沈んで行くという形容が合いそうなパワフルな演奏であった。
 第2楽章と第3楽章は、間断なく沸騰し続ける情熱、と言った感か。ここでのトランペットは輝かしく力があり、第3楽章のホルンももちろん壮快極まる。
 第4楽章(アダージェット)の弦は柔らかく美しい パリ管の弦の素晴らしさであろう。

 というわけで━━そこまでのハーディングとパリ管の演奏は本当に見事だったのだが、肝心の「決め」たるフィナーレには、ちょっと惜しい点があったように思う。というのは、沸騰する音楽の渦巻きが一段落する瞬間に、演奏の緊張感が途切れ、音楽の動きが空虚に近い状態になる瞬間があったのだ・・・・。
 最後のクライマックスなど、あれほどの輝かしさで進んで来たこの大交響曲の締め括りの演奏としては、ちょっと物足りない。つまり、最後の一押しがちょっと弱い、ということなのである。これも、ハーディングの若さと、パリ管との呼吸が完全に合うのは未だこれから、ということを示したものではなかろうか。

 とはいうものの、この2日間、パリ管弦楽団の久しぶりのブリリアントな魅力を堪能できたのは嬉しかった。
 ハーディングも、相変わらずの人気である。聴衆は、5年前の東日本大震災の日の夜、彼が敢然と踏み止まり、新日本フィルを指揮してこの同じマーラーの「5番」を演奏、早速チャリティコンサート開催を提唱したり(これは実現できなかったが)、その後も演奏会のたびに募金箱をかかえてロビーに立ったりしていた彼の好意を忘れていないのである。
     モーストリー・クラシック2月号 公演Reviews

コメント

大阪で拝聴しました!

私としてはハーディングさんとパリ管弦楽団の相性は良かったと感じました。何より震災時のハーディングさんの行動力を関西人も忘れていません。熱狂的な拍手でした。そして、ジョシュア・ベルさんの演奏も素晴らしいかったです。ベルさんは産経新聞のインタビューでクラシック音楽を巡る厳しい状況について「多くの人は人生の後半にクラシック音楽を楽しむようになる。だから私はクラシック音楽の未来に非常に楽観的です。」とおっしゃってました。私もそうです。人生の後半にクラシックと出逢えて光栄です。演奏終了後、楽屋口ではたくさんのハーディングファンとベルさんのファンの方、楽団のファンの方々で溢れてました。やはり、クラシック音楽の未来は明るいと私も感じたコンサートでした。

大雑把な汎用化の材料として一括りにされることには反発を感じてしまう性質なもので、大変な失礼にあたる行為と重々承知の上ながらも、一応の主張を許していただければと思います。私が彼が指揮する公演に優先的かつ継続的に足を運んでいるのは、彼のスタイルや文体が自分の波長に合うことを発見したからであって、2011年のあれこれに恩義を感じているからではないです(勿論忘れられるはずもないけど)。

具体的には、100人のオーケストラ相手に常設の弦楽四重奏団級の音楽をやろうとしているとしか思えないところや、エンタメ小説を期待している人にミルハウザーの短編集を突き出してくるようなところ。誰もそこまでは求めていないと思うよと内心苦笑しながらも、全神経を傾けて聴き入らずにはいられないところや、自分ひとりだけの部屋で好きな作家の文章をすみずみまで読み込んでいる時と同じような心地にさせてくれるところ。つまりは現実から逃れられる快適な場所、ここに留まっているよりはまともな状態でいられるはずという選択肢の一つ、更には顔を上げ前を向き扉を開けて再び現実に向き合うための推進力(マーラー5番最終楽章の設計に顕著と思います)を与えてくれる指揮者として、個人的に絶大な敬意と信頼を寄せているからです。

今後もそうした彼の仕事ぶりを見届けていきたいと思っています。物理的に可能な限り。たとえそれがどんなに小さく儚い王国のものだとしても。

大阪万博でのパリ管

今まで聞いた外国のオケの中でもプレトルが指揮したオールラベルプロがオケのパレットの色彩の魅力ゆえにいつまでも記憶に残っている。もちろんプレトルの指揮もだが。コンチェルトでのワイセンベルグのニヒルな演奏ぶりとともに。

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