2017-06

2016・11・24(木)東京二期会「ナクソス島のアリアドネ」

   日生劇場  2時

 カロリーネ・グルーバー演出、シモーネ・ヤング指揮によるR・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」。
 今回は全4日公演のダブルキャストで、今日はその2日目。田崎尚美(プリマドンナ/アリアドネ)、清野友香莉(ツェルビネッタ)、菅野敦(テノール歌手/バッカス)、杉山由紀(作曲家)、執事長(多田羅迪夫)、山下浩司(音楽教師)、近藤圭(ハルレキン)、吉田連(スカラムッチョ)、その他多数の歌手陣。東京交響楽団がピットに入った。

 カロリーネ・グルーバーの日本での演出はこれが4度目になるはずだが、時にえらく難解なものもあった。
 東京二期会の「フィレンツェの悲劇」と「ジャンニ・スキッキ」の2本立や、びわ湖ホールでの「サロメ」などは非常に解り易いものだったが、東京二期会での「ドン・ジョヴァンニ」には、正直なところ手を焼いた記憶がある。

 今回の「ナクソス島のアリアドネ」はどうかというと、比較的ストレートな手法のようにも見えるものの、肝心な個所ではかなりひねった設定が使われている。ライプツィヒ歌劇場のプロダクションを持って来たとのことで、同歌劇場の記録映像と見比べたところでは、基本的に大きな違いはない。ただ、大詰近くの舞台構成が、若干シンプルになったか、というところだろう。

 第1部(プロローグ)の舞台は、駐車場に接続する地下のロビーのような場所。第2部(「オペラ」)は、富豪の大邸宅の広間か、食堂とでもいう場所。
 この「オペラ」の部分では、アリアドネらシリアスなオペラ歌手はテーブル側にいて、一方ツェルビネッタら喜劇役者グループは少し離れたバーのカウンターにたむろしている━━という演出で、ドラマの構図は解り易い。

 アリアドネの歌を聴いていた来客たちが、喜劇役者たちの賑やかな歌や踊りがけばけばしい照明とともに始まると、辟易したり、逃げ出したり、しかしやがて彼女らのショウに惹き込まれ、愉しんでしまうという演出にも苦笑させられる。
 そもそもこの作品には、「客はオペラでは居眠りしていても、拍手の時には目を覚ますもんだ」とか、ツェルビネッタに「オペラで退屈した客をあたしたちが苦心して笑わせるのよ」などという台詞を喋らせるなど、ホフマンスタールとR・シュトラウス得意の、クラシック音楽側の自虐ネタも織り込まれているのだから、これらの設定は、その辺を巧くつかんでいるといえるだろう。

 ラストシーンでは、愛の二重唱が終りに近づくに従い、広間にいる人物たちが一人、また一人と、まるでエクスタシーに陥ったかのように、倒れて眠って行く。アリアドネだけでなく、第1部では反目しあっていたはずのツェルビネッタと作曲家も抱き合ったまま倒れて眠りに落ち、果てはバッカスさえも眠ってしまう。
 皆が眠りに落ちたあとで、小さなキューピットが現われ、「次はあなたがた」とでも言うかのように、客席に向かって矢をつがえ(手許が狂ったらどうなるかとヒヤリとしたが)、その瞬間に音楽が終り、暗転する、という洒落た幕切れであった。

 このラストシーン、私は大いに気に入ったのだが━━もし解釈が全く違っていたのならどうしようもないけれど。
 シェイクスピアの「夏の夜の夢」のように、最後には愛が勝利するのだ、というのがグル―バーのコメントだったが、それにしてはちょっと解り難い。

 歌手陣は歌唱、演技ともに多少の凸凹はあったものの、まずは精一杯の出来であったろうかと思われる。シモーネ・ヤングの指揮は、室内管弦楽団級の編成の東京交響楽団を率いて、予想を上回る好演を示した。特に大詰の二重唱では、終りに近づくにしたがって音楽は目覚ましい高まりを示して行った。

 かように力作ではあったが、客の入りが甚だ芳しくなかったのは、この演目が直前にウィーン国立歌劇場の来日公演でも取り上げられていたことが影響していたのだろうか、あるいはこの日の季節外れ?の雪の所為か。出演者たちには気の毒であった。
 とにかく、雪は止んだが、戸外は猛烈に寒い。地下鉄有楽町線で、次の会場、池袋に向かう。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2589-a3b109b1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」