2017-05

2016・11・11(金)広上淳一指揮広島交響楽団

      広島文化学園HBGホール  6時45分

 広上淳一が広島交響楽団に久しぶりの客演。
 前半に伊福部昭の「ラウダ・コンチェルタータ」、後半にワーグナー3曲━━「ローエングリン」第1幕前奏曲、「タンホイザー」の「序曲とバッカナール」、「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」。個性的なプログラミングだ。広響のコンサートマスターは佐久間聡一。

 伊福部昭の「ラウダ・コンチェルタータ」は、さすがに見事な演奏だった。
 彼の作品をいくつか録音で残している広上は、意外にもこの曲を指揮するのは今回が初めてだったとのことだが、「持って行き方」の巧さは相変わらずで、最後の頂点ではライヴならではの熱狂的な昂揚に導いて行った。

 今回はソリストに、パリ国際マリンバ・コンクール優勝(2006年)をはじめ内外に活躍著しい気鋭の塚越慎子を迎えていたが、オーケストラのリズミカルでエネルギッシュな力感のオスティナートの上に彼女が繰り広げるダイナミックで輝かしいソロは、この曲を単調さから解放し、いっそう躍動的にしていた。その快い演奏に聴衆が沸いたのも当然であろう。
 彼女はソロ・アンコールで、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」をささやくような弱音で弾いたが、これも良かった。

 伊福部のあとにワーグナー・・・・というプログラム構成も面白いが、そのワーグナー3曲の選び方もちょっと風変わりで、全て最弱音で終る作品が並べられていた。
 しかもその演奏スタイルがまたユニークで━━広上のワーグナーというのはこれまであまり聞いた記憶がないのだが、とにかく今日の演奏は、例えればアンチ・ワグネリズムとでもいうか・・・・。

 「ローエングリン」第1幕前奏曲では、伊福部作品の冒頭でも聴かれた広響の弦の清涼な澄んだ音色が響き始めたが、素っ気ないほどに直線的で矯めのない構築で、聖杯世界の神秘性も法悦感も、すべて削ぎ落とされている。
 「タンホイザー」序曲冒頭でのトロンボーンの「巡礼の合唱」を彩るヴァイオリンの16分音符の下行音の、何と正確で割り切ったリズムか。また、「ヴェヌスブルクの世界」の場面での弦の刻みや金管が、あまりにも明晰な生々しさで演奏されたのにも、肝をつぶした。
 これは、いわゆる「ワーグナーの夜と霧」といった「魔性的なもの」を根こそぎ排除した演奏だろう。

 だがこれを悪いと言っているのではない。最近はこういうワーグナー演奏をする指揮者も欧州にも多いのだ。ただ、独墺系のオーケストラの場合にはもう少し分厚い巨大感が出るが、日本のオケの場合にはそれが内側に凝縮した響きになりやすい、という違いがあるだろう。そういう趨勢のこんにち、この演奏をワーグナー的でないといって非難するつもりは毛頭ない。

 しかし、たった一つ、こればかりは━━「バッカナール」の終り近く、遠くから響くはずのシレーヌの歌声(エリザベト音楽大学の女声合唱)をステージ下手側の花道に配置したのは、その歌声がオーケストラよりも客席に近い場所で響くことになり、ここの音楽が本来持つ茫漠たる夢幻性が全く失われる結果になるので、全く賛意を表しかねる。
 ましてや、「ヴェヌスブルクの音楽」が頂点に達した瞬間に合唱団員がぞろぞろと入場し、指揮者も客席の中に出て来るというやり方に至っては、何をかいわんや、である。

 これはもうアンチ・ワグネリズムも極まれりといったところだが、ところがその広上と広響の演奏が、最後の「トリスタンとイゾルデ」に入ると、みるみる変わって行ったのだ。
 特に「愛の死」では━━矯めを排したイン・テンポは変わらないとしても━━緻密なオーケストレーションが織りなす音に、一種の官能的な感覚が生まれて来て、まさに「トリスタン」の世界そのものと化したのだった。広上と広響の演奏が、ダイナミックな素っ気なさや荒々しさから離れて、真に精妙で緻密なものになったのは、この「愛の死」においてだったのである。

 これは、この「トリスタン」の音楽が持つ不思議な魔力にもよるのだろう。
 譬えて言うなら、ワーグナーの「毒」など飲まぬと誓った指揮者が、最後には結局その毒に呑まれてしまうといったような流れだろうか。「トリスタン」の音楽の魔性、恐るべし、である。
 広響はこの日、終始、張りのある演奏を繰り広げていたが、この「トリスタン」での、特に「愛の死」における演奏は、卓越して見事なものであった。終り良ければ、すべて善し。
 アンコールは景気のいい「ローエングリン」第3幕前奏曲。広上は、これを原曲通りに「結婚行進曲」の4小節目まで演奏し、その最後の音を引き延ばして終るという、ワグネリアンをニヤリとさせるやり方で締め括った。

 なお、カーテンコールの際に、楽員たちが客席に向ける顔の表情が明るく、笑顔が多いことも、広響の良さだろう。これは、会場の雰囲気を明るくするのに役立っている。
 ついでに言うと、場内アナウンスを担当していた女性は内海雅子さんというフリーの人だとのことだが、これほどマニュアル的な口調でなく温かい、あたかもDJのように柔らかく語りかけるようなアナウンスをする人を、これまでこういった会場で聞いたことがない。日本の他のホールでも、こういう語り口調の場内アナウンスがもっと広く行われれば、客席の雰囲気も随分違って来るだろう。
    →モーストリー・クラシック新年号 公演Reviews

 以下は付録である。
 アンコールの前にマエストロ広上が聴衆に向かってスピーチを行い、広響の演奏水準の素晴らしさを讃えるとともに、カープの優勝をも祝していた。広響については私も異存はなく、また今年は日本シリーズで「滅多に優勝できない」カープを勝たせてやりたかったと思った人間のひとりなので、ここでお付き合いして、余興にカープについての、古い、古い話を━━。

 昭和25年、2リーグ分裂時に結成されたこのチームの名称が最初は「広島カープス」と発表されていたことを、私もはっきり覚えている。しばらく日が経ってから、「カープ」は単複同形だと誰かが指摘したので、現在のように変更(?)されたのだった。こんな出来事は、いかにも戦後間もない時期ならではのものだろう。

 もう一つ、これは当時人気のあった野球専門月刊誌「野球界」に出ていた感動的な話である。著者はたしか大和球士氏ではなかったかと思う。
 春に大阪でプロ野球の特別大会が開催されることになったが、財政難に喘ぐカープでは、選手を大阪まで送るだけの汽車賃さえなかった。そこで選手たちは、大阪まで歩いて行こうという決意を固めた。
 ところがこのことが新聞に出ると、市民からあっという間に寄付が集まった(昔も今も、広島市民の情熱は変わらぬようである)。

 いよいよ大阪への出発の当日、広島駅は選手を見送る市民たちで埋め尽くされた。当時の中心的選手・白石勝巳(のち監督)は、見知らぬ老女から車窓越しに、「白石さん、あたしは野球のこと、何にも解らないけど、とにかく行けて良かったなあ。これを持って行きなさい」(オリジナルはもちろん広島弁)と、新聞紙の包みを手渡されたという。
 「おばあちゃん、何だか知らんが、もらっとくな、ありがとう」とそのまま受け取った白石は、そのまま慌ただしさに紛れていた。だが発車後、しばらくしてその新聞紙の包みのことを思い出し、何気なく開けてみた。すると中には、竹の皮に包まれて三つ、大きな握り飯が入っていた。白石は泣いた。
 ━━昭和20年代半ばの話である。広島ならではの、温かい話だ。

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