2017-03

2016・11・7(月)山田和樹指揮日本フィル 「柴田南雄」記念

      サントリーホール  7時

 山田和樹みずからがプロデュースしたという、「柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会 山田和樹が次代につなぐ ~ゆく河の流れは絶えずして~」という演奏会。
 柴田南雄の作品を集めて、「ディアフォニア」(1979年作品)、「追分節考」(1973年作品)、それに目玉の「交響曲《ゆく河の流れは絶えずして》」(1975年作品)の3曲が演奏された。コンサートマスターは扇谷泰朋、合唱は東京混声合唱団と武蔵野音楽大学合唱団、尺八が関一郎、舞台監督が深町達。

 プレトークでのマエストロ山田の話によれば、彼自身のスケジュールと、サントリーホールの空き日が合致したのは今日だけだったとのこと。しかし偶然、今日11月7日は、森正指揮名古屋フィルにより「ゆく河の流れは絶えずして」が41年前に初演された日に当たっていた。
 その上、今年は鴨長明の没後800年に当る━━とか何とか、あれやこれやの因縁が合致した今回の企画だったそうな。とにかく、満席に近い聴衆を集めての演奏会、出来栄えといい、意義といい、大成功だったと言っていいだろう。

 「ゆく河の流れは絶えずして」は、私も41年前の東京公演を聴いた。
 客席のあちこちに合唱団員が散らばり、聴衆ひとりひとりの顔を正面から見つめながら、鴨長明の「方丈記」を延々と「口説」する。「萬歳流し」(1975年作品)と似た手法である。だが、目の前で「ゆく河の流れは絶えずして・・・・」などと正面から顔を見ながら喋られると、こちらは照れ臭くなって下を向いてしまい━━舌を出すとか目を剥くとか、茶目な顔でもして口説者を吹き出させれば面白かったろうが、もちろんそんな度胸もなく、もじもじしながらそれを聴いていた記憶がある。

 ところが今日の演奏ではそういう場面がほとんど無く、合唱団員は客席の壁側に整列して台本を読むか、歌うかする形の方が多く、しかもその部分が昔よりずっと短かったような気がするのだ。41年前の演奏の時には、たしか全曲で1時間以上かかったのではないかという気がするのだが━━この辺は記憶も曖昧である━━今回は50分くらいではなかったろうか? 

 この曲の演奏には「偶然性」の手法を含んでいるので、演奏時間は一定でなくても構わないわけだが、何十年に一度しか演奏できぬ大がかりな作品で、しかも記念年にあたるとなれば、せめて目いっぱいの規模による上演を望みたかった。
 そうしなかった理由については関係者から二、三の話を聞いたが、それらは全く本末転倒のことに思えて腹立たしく、到底納得しかねるものではあったけれど、ここには書かないでおく。

 ただ、いずれにせよ、この作品には、作曲者が受容したさまざまな音楽技法や様式、流行などをオーケストラの中にコラージュとして甦らせ、「方丈記」の日本的な諸行無常、万物流転の歴史観とダブらせつつ回想して行くという狙いが━━いや、回想と言って悪ければ、「過去の音楽作品の自作への引用」━━それは「作曲の歴史」の本質というべきもので、「オマージュ」あるいは「影響」として当然許されるものだが━━という作曲者の意図がこめられていて、それは極めて興味深い手法といえるだろう。「方丈記」を利用して自らの作曲観を語るというのが、いかにも「日本の作曲家」らしいではないか! 
 その大作を、いま改めて聴くことができ、柴田南雄という作曲家を再認識することができたのは嬉しい。そうした意味も含め、今回の演奏が大いなる意義をもっていたことは、間違いない。

 休憩前に演奏されたのは、最初に「ディアフォニア」という、オーケストラだけの作品。ここでも12音技法や不確定性、ロマン派的音楽などの回想/引用がある。「京都をイメージした作品」だというからには、それら「伝統」からの引用も意味をもつだろう。

 2曲目は、合唱団だけによる「追分節考」。これも団員が客席に散らばって歌う。ここでこの手法をいち早く聴衆に聴かせてしまうのは━━たとえ合唱団に花をもたせる狙いがあったとしても━━メインの「ゆく河の・・・・」での衝撃効果を失わせてしまう結果となって、あまり的確な選曲とは言えなかったのではないか。
 だがとにかく、客席の四方八方から人間の声が響いて来るというのは、不思議な快感を生むものだ。ベルリオーズの「レクイエム」で金管の大ファンファーレに囲まれるのと同じ効果である。

 そして雑然と響く馬子唄や囃子の上に、「萬歳流し」と同じように、長く保持された柔らかい女声が何処からともなく響き続けている。これは、何か夢幻的な世界に引き込まれるような感がして、私は本当に好きだ。
 但し、それも聴く場所によるだろう。耳元で歌われると、バランスは滅茶苦茶になる。
       ⇒別稿 音楽の友新年号 Concert Reviews

コメント

口説

「口説」は2階席ではやっていました。私が座っていたのはRDブロックですが、私の近くの口説者は、必死の形相で、口説者になりきってやっていました。私は「いいな」と思いました。平安末期の乱世の世相を思い浮かべました。

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