2017-05

2016・11・5(土)METライブビューイング 「トリスタンとイゾルデ」

     東劇  4時

 メトロポリタン・オペラのシーズン開幕とともに、その上演映像配給━━ライブビューイングも始まった。今日のワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は、去る10月8日の上演ライヴである。サイモン・ラトルが指揮、マリウシュ・トレリンスキが演出したものだ。

 これは私にとっては、現地上演をナマで観たいと思いつつ、早稲田大学で開講しているオペラ講座の日程との兼ね合いもあり、どうしてもスケジュールの調整がつかず諦めたものだった。しかし、今日の記録上映を観て、やはりナマで観ておきたかったと思う。
 というのは、昨年の「青ひげ公の城」などにも使われたトレリンスキ得意のプロジェクション・マッピングの手法は、記録映像ではその効果の半分も堪能できないであろうからである。第2幕でトリスタンを待つイゾルデの気持が昂り、音楽が凄まじい勢いで高まる瞬間、背景に渦巻きはじめる霧か雲のような映像といい、あるいは「愛の死」で舞台を覆う「逆さ波(?)」のような映像といい、METの巨大な舞台空間で観れば、どんなにか迫力があったろうと思われる。

 そのトレリンスキの演出は、人物の動きや表情などに関しては映画監督のそれらしく、比較的細かく描き出している。第3幕には、トリスタンの幻想の中でその幼年時代を回想するがごとき光景も出現する。
 ただやはり基本的には、ドラマトゥルギー的(こんな言葉があるのかどうかは知らないが)な要素よりも、視覚効果でドラマを彩って行くという手法の方が中心になっているのではないかという気がする。

 場面の設定は、第1幕は船の操縦室、第2幕は同じ船の倉庫らしき場所。第3幕は当然船中から離れ、何処ともつかぬ空間に置かれる。
 この「船」たるや、誰かが「戦艦」だとか言っていたが、映像で描かれる船影は、戦艦にしては少し変だ。それに戦艦なら、あんなに波浪に弄ばれまい。せいぜい駆逐艦か巡洋艦といったレベルではないかと思うが、いずれにせよ軍艦であることは確かである。登場人物の軍装から判断すれば、マルケ王はさしずめ海軍大将か海軍元帥、トリスタンとメロートは上級士官という設定だろう。

 第2幕幕切れでは、激怒したトリスタンが拳銃を手にメロートに迫るのを兵士たちに取り押えられ、そのさなかに拳銃が暴発したのか、トリスタンが胸に重傷を負うという具合になっていた。
 第3幕での、マルケの軍勢とクルヴェナールたちの戦闘はおそらく幻想であろうと思われ(ここは舞台も暗黒のままである)、特に後半は、どこまでが現実で、どこまでが幻想か区別が出来ないような設定になっている。いや多分、「イゾルデの船が見えた」あたりからあとは、すべてトリスタンの幻想という設定だろう。バイロイトのポネル版なら、最後はクルヴェナールに看取られてトリスタンが寂しく死ぬ、という設定だが、こちらトレリンスキは、イゾルデに見守られて息を引き取る幕切れまで「幻想」のまま押し切った、ということか。

 歌手陣。
 軍装姿のマルケ王のルネ・パーペは、立居振舞も歌唱も、まさに貫録充分である。
 トリスタンのステュアート・スケルトンもよく頑張っていた。8年前にハンブルクでジークムントを演じていた時には、まだ少し線が細い(体躯の問題ではない)かなと感じたものだが、今はもう違う。4年前に新国立劇場で演じたピーター・グライムズと同じような粗暴な雰囲気が今回も出て、あまり「騎士トリスタン」のガラではないものの、力のある声がヘルデンテノールの資格を備えているだろう。

 イゾルデのニーナ・ステンメも巧くなった。「突っ張る王女」が「恋する女」となった時に表情から物腰までが一変してしまう演技も見事である。ただ、━━第2幕の二重唱前半の一部で、スケルトンとステンメの声の収録バランスが極度に悪くなり、スケルトンの声には何かPA操作的なというか、近接マイク的なというか、妙に不自然なアップがかかっているのが感じられ、聞き難いこと夥しい。
 パーペの声を含め、総じて第2幕での歌にはエコーのような響きが伴っていたが、これはもしや舞台装置の関係か? 

 その他、ブランゲーネのエカテリーナ・グバノヴァは、少し冷たい雰囲気の侍女という設定で好演。問題はクルヴェナールのエフゲニー・ニキーチンで、歌の細かい音符の動きがしばしば等閑になり、リズムもズレ気味になるのも気になったが━━こんな歌手ではなかったはずなのだが、どうもあの「刺青事件」のあとの彼は、マリインスキーで活躍しはじめた頃の精彩を欠いているようだ。

 さて、指揮のサイモン・ラトル。
 澄んだ音色と一風変わった音のバランス(木管がいつもより強い)が目立つので、これは録音の関係かと思っていたら、幕間のインタビューでラトル自身が、1世紀前のマーラーの書き込みのあるスコアを研究し、オーケストラの音色、ダイナミックス、バランスなどの扱いに大きな示唆を得た、と語っていたので、なるほどそれもあるのかと納得した。

 あくまで録音で聴く限りにおいてだが、今回のワーグナーは、分厚い弦を前面に出した重厚なワーグナーとは異なり、透明さも備えた、独特の癖のあるバランスの音色によるユニークなワーグナー・サウンドである。
 だが、その演奏の推進力は凄まじい。テンポを自在に動かし、まるで往年のフルトヴェングラーの指揮のように起伏の大きな、官能のワーグナーを描き出している。2009年にウィーンで聴いた彼の、直線的でエネルギッシュな「トリスタン」とは、もはや全く違う。ラトルは凄い指揮者になったものである。
 もちろんこの見事な演奏には、METのオケの柔軟性が一役買っているのだが。

 終映は9時10分頃か。上映時間は5時間7分と発表されている。重量感たっぷりだ。

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