2017-11

7・24(木)飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

  東京オペラシティコンサートホール

 前半のR・シュトラウスの「カプリッチョ」の「序奏と月光の音楽」および「死と変容」は2階席正面で聴き、後半のブラームスの「第1交響曲」は1階席上手側やや後方で聴いたが、このアコースティックの違いは驚くべきものだ。
 2階正面では、オーケストラの細部まで明晰に聴き取れる代わりに、金管はかなり鋭く刺激的に、音は全体に硬く迫ってくる。それに対し後者では、低音域が唸るように轟き、弦に厚みが出て、管はその彼方から少しこもり気味に、それほど明晰でないが重厚に響いて来る。

 ともあれこの日の演奏に関しては、1階で聴いた時の方が、音楽がロマンティックな色合いを増し、飯守がいかに豊かな情感を持った指揮者であるかという思いを強くさせたのであった。それゆえブラームスの交響曲は、濃い陰翳にあふれた非常な名演であったと感じた次第である。

 もちろん、これらの印象の違いの原因には、演奏の違いが大きく作用していたであろう。シュトラウスとブラームスの音楽の性格の違いを飯守が巧みに描き出して見せた、ということは当然あることである。聴衆の拍手の大きさが両者で歴然と異なっていたことが、何よりそれを証拠立てるものであろう。

 ただ、以前にもこういうことがあったのだ。チョン・ミョンフンと東京フィルの演奏を1階席後方で聴き、私は極めて柔らかく壮大で快い響きだと思ったのに対し、2階正面でそれを聴いていた人たちからは「うるさくてとげとげしい演奏だった」という感想を聞いたことがある。
 録音にせよナマにせよ、演奏批評には、如何に大きな陥穽があることか。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/256-789c338d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」