2017-03

2016・10・8(土)シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団

      東京芸術劇場コンサートホール  2時

 「土曜マチネーシリーズ」の一環。プログラムは、ラモーの「カストールとポリュックス」組曲、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第15番」、シューベルトの交響曲「ザ・グレイト」。ピアノ・ソロはマルティン・シュタットフェルト、コンサートマスターは長原幸太。

 「天国的に長い」━━でなく、シューマンのこの言葉の本来の意味であるはずの「天国的に美しい」世界だったのは、むしろモーツァルトのピアノ協奏曲の方だった。
 シュタットフェルトの、ささやくような神秘的な弱音と、限りなく澄み切った音色による演奏が素晴らしい。この世ならざる清らかな世界だ。

 ピアノの調律にも、おそらく特殊な手法を適用していたのだろう。わが国での最近のコンサートでこれほど澄んだ音色を聴いたのは、何年か前の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で、ミントーン調律によるピアノを弾いたピーター・ゼルキン以来である。
 こういう音色で演奏されたモーツァルトの協奏曲が、どれほど崇高で美しい音楽になるか、とても筆舌に尽くしがたい。ただもう陶然として聴き惚れるという状態であった━━。カンブルランと読響も、特に第2楽章では、このピアノに相応しい、清澄な弦を響かせていた。

 ところで、「天国的」の本家たる「ザ・グレイト」の方は、予想を覆して、轟くティンパニと鋭く切り込む金管、鋭角的な弦のリズムも凄まじく、実に豪快でダイナミックな演奏だ。
 これはもう、天国どころではなく、なまなましい現世の躍動の歌である。昔よく言われていた「彼岸的」とか、ロマン的とかいう性格を根こそぎ払拭し、猛烈なエネルギー性を引き出して前面に押し立てた演奏、ともいえようか。

 第1楽章など、普通は聞こえない金管の動きが弦楽器を圧して出て来る。初めは少々戸惑ったが、やがてその骨太な「ザ・グレイト」が、不思議に魅力あるものに感じられて来た。このテで演奏されると、第4楽章の第2主題(オーボエが一つの音を反復し、弦が同じリズムを反復しつつ進んで行くあの主題だ)も、息詰まるような緊張感を生み出すのである。実に面白い。

コメント

調律

ご指摘のとおり、徹底的に弱音にこだわった、繊細で独特のモーツァルトの世界でした。たまたま1日のN響定期でデニス・マツーエフの弾く、重戦車が爆走するようなプロコフィエフ(とアンコール)を聴いたばかりで、この両極端ともいえる二つのスタイルの演奏を前に、それぞれのピアニストが相手の演奏についてどのように評価するのだろうと考えておりました。いずれもとても素晴らしい演奏でとても楽しませていただきましたが。
ところで、ピアノの調律については、読響のホームページに「バッハ/ケルナー調律」との説明がコンサートの直前に掲示されていました。当日配布されたプログラムにそのような記載が一切ないのはちょっと不親切と思いました。このような情報はとても貴重なものなので(聴衆としても聴き方に気合が入ります(笑))、極力プログラムには記載いただきたいのですが(ショパンのピアノ協奏曲の版の問題なども記載されておらず、不親切と思うことがあります)、原稿依頼のタイミングとの関係からなかなか難しいのでしょうね。

シュタットフェルト

シュタットフェルトの来日公演は過去に何回か聴いていて、優秀で抒情的な若手ピアニストという認識しかなかったので、今回のモーツァルトには驚嘆しました。後半が「グレイト」なので、舞台から遠くてもいいかと思い3階席を取ったのですが、最初のピアノの音をきいて、しまった、前の方にするのだった!と後悔。あのように繊細優美なモーツァルトは、欲を言えば大手町のよみうりホールぐらいのキャパシティのホールで聞きたいです。モーツァルトの前にラモを置くのは、なかなかいい感じ。ところでシュタットフェルトの紹介文にはいつも「グールドの再来」と書かれているようですが、資質がまったく異なるのに録音のデビューが同じ曲だったというだけでいつまでもこういうレッテルを貼り続けているのはどうかな、と思います。

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