2017-08

2016・10・3(月)信時潔:「海道東征」

    ザ・シンフォニーホール  6時30分

 大阪での再演。昨年11月22日の演奏は、演奏内容といい趣旨といい、腑に落ちぬことばかり多かったのだが、それでも再演を聴きに行った最大の理由は、今年は指揮者が変わり、歌手陣も大部分が入れ替わったので、作品本来のあるべき姿を今度こそ再認識できるのではないかという期待からだった。
 またそれとともに、これまでどうしても予定が合わず、聴く機会を失っていた大井剛史の指揮をじっくり聴いてみたい、という狙いもあった。

 作品についてのこと、また昨年の演奏会での出来事などは、当日の項に詳しく書いたので省略する。

 しかし、今年は期待通り、交声曲「海道東征」は、昨年とは全く違った音楽として甦った。昨年の演奏に聞かれたような、だらだらと流れるだけのイメージは払拭され、もっと起伏の大きな、しかも清澄な信時潔の世界が立ち現れていた。作品に込められた、控えめながらも確実な昂揚感が見事に表出され、大和の国の美を讃える感情の高まりが明らかに感じられる演奏となっていたのである。歌詞の内容には一部共感し難いところがあるとはいえ、いい音楽だ。
 これは、大井剛史の真摯な指揮によるところが大きいだろう。彼は、派手なイメージは一切ない人のようだが、手堅く、しかも瑞々しく温かい表情で演奏を構築する美点を備えている指揮者のように思われる。

 その彼の指揮で、大阪フィルハーモニー交響楽団も、大阪フィルハーモニー合唱団も、昨年とは見違えるように生き生きと波打つ演奏を聴かせてくれた。
 欲を言えば、オケにも合唱にも、「ヤァハレ」のような個所などでもう少しリズミカルな響きが欲しいし、また声楽には歌詞の表現にもう少し実感や共感のようなものが欲しいとも感じられる。
 しかし、もともと北原白秋の詞がなだらかで美しい荘重なつくりである上に、音楽もそれを生かした流れになっているので、こういうレガートな演奏で充分なのかもしれない。レガートに演奏すれば荘重さが生まれ、リズミカルに演奏すれば土俗的な開放感が生まれる━━というところだろうか。

 大阪すみよし少年少女合唱団も「亀の甲に揺られて」の個所で好演を聴かせた。そしてソロ歌手陣━━北野加織・幸田浩子・糀谷栄里子(以上ソプラノ)、二塚直紀(テノール)、田中勉(バリトン)のうち、特に男声の2人が力強く全体をリードして、高千穂の美しさを歌い上げていた。

 なお、アンコールとして、信時潔の名作「海ゆかば」がまた演奏されたが、これも今年は昨年と違い、「起立して聴け、一緒に歌え」などという、愚にもつかぬ思想強制的な指示は出されなかったし、立ち上がって歌い出す客など一人もいなかった。おかげで、この曲の高貴な美しさが、やっと堪能できたというわけである。素晴らしい音楽だ。
 戦争末期には、ラジオのニュースで、玉砕の戦況報告でこの曲が流されたそうだが、そういった歴史的な事実は事実として受け止めつつ、今日のわれわれには、聴き手のそれぞれが作品の本質に立ち返ってアプローチする自由が許されるだろう。━━それにしても、この管弦楽編曲はだれが行ったのだろうか。編曲はなかなか良いが、所々に加えられる小太鼓の行進曲的リズムが、この曲を妙に軍楽調に響かせ、本来の崇高さを失わせてしまうのが唯一最大の欠点だ。

 プログラムの前半には、スメタナの「モルダウ」と、大栗裕の「管弦楽のための《神話》~天の岩戸の物語による~」が演奏された。「海道東征」との組み合わせにおいては、昨年よりコンセプトの統一が感じられよう。

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