2017-05

2016・9・19(月)あいちトリエンナーレ モーツァルト「魔笛」

    愛知県芸術劇場大ホール  3時

 あいちトリエンナーレ制作になるモーツァルトの「魔笛」(2日目)。勅使川原三郎の演出(美術・衣装・照明を含む)が話題。

 演奏は、ガエターノ・デスピノーザ指揮の名古屋フィルと愛知県芸術劇場合唱団、妻屋秀和(ザラストロ)、高橋維(夜の女王)、鈴木准(タミーノ)、森谷真理(パミーナ)、宮本益光(パパゲーノ)、醍醐園佳(パパゲーナ)、青柳素晴(モノスタトス)、小森輝彦(弁者)ほかという錚々たる顔ぶれ。東京バレエ団および佐藤利穂子(ダンス、ナレーション)も協演していた。

 勅使川原の舞台は予想通り、黒色の背景と白色の照明というシンプルな装置による静的なものだ。もちろんダンスは随所で活用され、大蛇はじめ動物たちも、ダンサーたちにより象徴的に表現される。
 宙に動く3組の「3つの輪」は、演出家によれば「大小さまざまなリング、円という絶対的であり宇宙的でもある完結した造形空間」(演出ノート)だそうだが、しかしそれはもちろん、このオペラの本来の有名なモティーフである「3」とも関連しているのだろう。

 衣装はユニークで、タミーノ、パミーナ、パパゲーノ、パパゲーナを除く魔界(?)の登場者はすべて異形の扮装。こけし人形を模した衣装なども面白い。

 オペラを日本風の舞台にして再創造する手法は、これまでにもいくつか試みられて来ている。大成功を収めた昨年の弥勒忠史演出「メッセニアの神託」はそのベストな例だし、古くは猿之助演出「影のない女」(バイエルン州立歌劇場)、若杉弘制作の「サロメ」(鎌倉芸術館)などもある。
 こういった手法は、ヴォルフガング・ワーグナーやルドルフ・ゼルナーの進言を待つまでもなく、積極的に試みられるべきである。その意味でも、これは有意義な企画だったし、ある部分では成功していた。

 ただ、それがわれわれ観客に舌を巻かせるほど音楽と調和していたかというと、どうも消化不良の感が残っただろう。例えば、ダンスが散発的なものにとどまり、ケレンを求められる「試練の場」ではほとんど活用されず、曖昧なものになっていたのは、もったいない話だ。

 だがそれ以上に、今回はドイツ語の歌唱を採ったものの、台詞をすべてカットし、それに代わるものとして、その都度日本語による説明的ナレーションを入れ、その間、登場人物たちにはパントマイムで演技をやらせたのが、何ともチグハグな結果を生んだことが問題だ。
 このナレーションのスタイルは、私も含め、ラジオ放送が昔よく使った手である。しかしこれは、ラジオでは効果的だが、ナマの舞台の上演では、視覚が伴うだけに、むしろオペラとしての流れが阻害されるような感じになってしまうのである。

 デスピノーザの指揮が何とも坦々としていて、モーツァルトの音楽が持つ強力な流れと、自然な昂揚感を生かせずに終ったのは、あるいはその影響によるのではなかろうか。
 「魔笛」は、音楽━━台詞━━音楽というジンクシュピール(歌芝居)として、全体が有機的な繋がりと流れをもつ構成の作品だ。ところが今回のプロダクションでは、それが日本語ナレーションとパントマイムにより分断されたために、彼のような外国人指揮者はその日本語のテンポをうまく把握できず(しかもそのナレーションが常に同一テンポで進められるものだから)音楽を大きな流れとして盛り上げるまでに行かなかったのではないかと思われる。

 歌手陣はみんなよくやっていた。鈴木准は当たり役だし、宮本益光は「独りで懸命に舞台を盛り上げ」ていた。森谷と高橋は、役柄を入れ替わった方がいいのではないかと思うところも少なくなかったが・・・・。妻屋秀和も貫録の低音で聴かせていた。
 醍醐園佳が溌剌たるところを見せ、聴かせたのが印象に残る。特に彼女と宮本の2人ともが「パパパパパ・・・・」を明晰に、弾むように歌ってくれたのがありがたい。歌い手さんの中には時々、この唇の弾みがままならぬ人もおられるので・・・・。

 台詞がないので、休憩1回を含め、5時50分くらいには演奏が終ってしまった。8時前の新幹線で帰京。名古屋はただの曇だったのに、東京は土砂降りである。

コメント

普段あまりクラシックに馴染みのない友人は面白がっていました。オペラファンやモーツァルトファンはナレーションの煩わしさなどが気になって、あまり楽しめなかった印象。森谷さんの歌唱が光っていて、独り舞台に近かったような。

魔笛

来年、神奈川でも同じプロダクションが上演されることになっていますね。好きな作品なのと、勅使川原三郎演出というのに惹かれて、早々とチケットを入手しました。しかし、台詞カットとは!思いもよりませんでした。チラシをよく見たら「字幕付・日本語ナレーション」と書いてありました。わたくしも東条さんのおっしゃるように、音楽、台詞、歌が密接に繋がりあって成立している作品だと思っています。ですから、演出サイドにしてみれば、新しい試みのつもりなのかもしれませんが、台詞をなくしてナレーションにしてしまったのは、まったく残念に思います。大きな欠落です。指揮の川瀬さんに期待しよう。

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