2017-05

2016・9・17(土)東京二期会「トリスタンとイゾルデ」3日目

    (東京文化会館大ホール 2時)

 ヴィリー・デッカーの演出、ヴォルフガング・グスマンの舞台美術によるこのプロダクションを、はじめライプツィヒ歌劇場での上演記録映像で観た時には、正直、えらく単調で、さっぱり面白くない演出のように思えたものである。だが、空間的な拡がりのあるナマの舞台で観てみると、それなりのまとまりと雰囲気があることがわかる。

 先日のGPで観た時の印象と同様、キーワードは、愛し合う2人にとっての、出口のない世界、孤独で荒涼とした海、2人にとって唯一許された世界であるか細い小舟━━と言っていいだろう。
 特に、頼りない小舟に乗って2人だけの海に漕ぎ出すという光景で表わされる「愛の世界」は、印象的なものがある。


オール
福井敬(トリスタン)と池田香織(イゾルデ)

 ユニークな手法といえば、第2幕の幕切れで2人が自ら短剣で眼を切り、おぞましい「明るい昼」へ永遠の別れを告げるという設定(これは少なからず衝撃的な設定だ)がまずひとつ。

銃
自らの眼を傷つけるトリスタン
写真提供 東京二期会 撮影©三枝近志


 その他、第3幕では、クルヴェナールがマルケ王の前で自ら死を選ぶという設定が採られる。彼が王の軍勢と戦うのは単に彼の幻想に過ぎぬという解釈は、バイロイトのマルターラー演出をはじめ最近は増えているようだが、これも同様の解釈である。
 ただし、ラストシーンの「イゾルデの愛の死」は、すでに彼女の死後の世界での出来事であるという設定だそうだが、どうも前後の流れからして唐突で解り難い。イゾルデの眼がなぜ突然また見えるようになったのか、なぜ彼女が毅然と起き上がり、槍を持ったブリュンヒルデさながらにオールを携えて屹立するのか、などと訝るほうが先に立ってしまうかもしれない。

 今回の歌手陣の中で、驚異的な素晴らしさを示した人は、イゾルデの池田香織である。これまで彼女のイゾルデは断片的にいくつか聞いたことはあったが、それらとは比較にならぬ成長ぶりで、この役のひたむきな性格を見事に表現していた。
 特に(しばらく休んでから再登場した)第3幕後半の場面では、第2幕までよりも声が澄んだような印象があり、「愛の死」の最後までを安定感豊かに歌い切った。歓びと哀しみとを歌い分ける陰翳ある性格表現という点は、これから身について来るものだろう。邦人歌手に優れたイゾルデが出現したことを慶びたい。

 その一方で惜しかったのは、トリスタンの福井敬。先週の第1回上演では最後まで朗々と押し切ったということだが、今日は体調不良とのことで、第2幕の愛の二重唱のあたりからすでに不安を感じさせる出来であり、第3幕の前では大野徹也公演監督が観客に了承を求めるという事態になった(今回のトリスタンは2人とも受難だったことになる)。
 第3幕でもハラハラさせられることが何度かあったが、幸いにもここは「瀕死のトリスタン」役とあって、辛うじて最後までアンダーを立てずに押し切ったのは幸いだった。終演後の楽屋で会った時には、話す声が半ばしわがれていて、ぎょっとさせられたものである。強靭な声の持主にも、たまにはこういうことがあるのか、と。

 ちなみに、トリスタンのアンダーは菅野敦で、彼は先日、もう一つの組のGPで、ブライアン・レジスターが演技のみで歌わなかった時、舞台袖に立って終始トリスタンを歌っていた人だ。なかなかいい歌手とお見受けした。

 今回のデッカ―演出では、題名役のこの2人が比較的動きの少ない演技であるのとは対照的に、脇役たちは終始オタオタし、不必要とまで思われるほどに慌ただしく動き回る、という設定になっていた。ブランゲーネは山下牧子、クルヴェナールは友清崇、マルケ王は小鉄和広が歌い演じ、歌唱面では、もちろん、みんな優れたものを示していた。

 その中で私は、山下牧子の演技に賛辞を贈り、勝手に「最優秀演技賞」を贈呈したい。第1幕の幕切れ、「愛の薬」を飲んだ後のトリスタンとイゾルデを見て、どうしようもないほどおろおろし、取り乱し、やがて絶望感に陥って行く様子をこれだけ見事に、人間味豊かに表現したブランゲーネを、私はこれまで観たことがない。こういう脇役こそが、舞台を引き締める役割を果たすのである。

 指揮とオーケストラは、ヘスス・ロペス=コボス指揮の読売日本交響楽団。日本のオペラ上演としては、あの「パルジファル」での演奏に次ぐ好演である。おそらく今日、ピットに入って最も充実した演奏を聴かせてくれるのは、わが国ではこのオーケストラだといっていいだろう。第3幕前半では少々不安定なところもあったが、全体としては満足できる演奏である。
 なお、第2幕冒頭のホルン(狩の角笛)は、すこぶる快調。遠近感もよく出ていて、遠く音が消えてオーケストラのゆらめきに引き継がれるあたりの音のバランスなど、絶品だった。

 ロペス=コボスは、ワーグナー指揮者として合っているかどうかは一概に言い難く、特に第2幕でのイゾルデのモノローグや二重唱、同幕終結近くの2人の「昼を呪い、夜に憧れる」くだりなどでは、もっと音楽のうねりが欲しかった。だが、少なくとも29年前にこのホールで行われたベルリン・ドイツオペラ公演の「トンネル・リング」で指揮した時よりは、はるかに良かったと言わねばなるまい。

 最後に、字幕。製作としてクレジットされている方をよく存じ上げているので、あまりずけずけ言い難いのだが、文字数も多く、文体も些か不自然で、ワーグナーの音楽の雰囲気と合わぬところが多い。「薬」を「愛の妙薬」という表現も奇怪だろう(ドニゼッティじゃあるまいし、ワグネリアンはこの作品ではそういう言葉は使いません)。

 30分の休憩2回を含み、6時45分終演。
 折角のいい内容だったのから、もう少しお客さんが入って欲しかった。「トリスタンとイゾルデ」は、ワーグナーの最大傑作であり、あらゆるオペラの中でも屈指の名作なのである。

(付)夜のとばり様 そこのクルヴェナールの動き、私も同感でしたよ。何をオタオタしながら見ているんだ、さっさと手助けしてやればいいじゃないか、と。ああいう演出を観ると、ちょっとやきもきしますね。、

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池田さん素晴らしかった。近いうちに飯守さんの指揮で池田さんのイゾルデが聴きたいです!

17日の公演を聴きました。
池田香織さんの歌は本当に素晴らしかったし、見た目もとても美しかった。
これからますます期待しております。

一方で、東条先生、だいぶ柔らかく表現しておられますが、演出と指揮は仰るとおりとても残念でした。
ロペス=コボスはかつてトンネルリング来日公演でがっかりの“ユルフン”演奏をしておりましたが、今回も残念ながら全く変わっていないことがわかりました。
“「トンネル・リング」で指揮した時よりは、はるかに良かった” のはベルリンドイツオペラのオケはルーチンの手抜き演奏 読響のほうはあんな指揮でも手抜き無しで演奏したからではないかと愚考いたします。

18日に見ました

イゾルデ役の横山さんは声も体格も立派で日本人離れしていますね。日本人で相手役がつとまる人を見つけるのは難しいでしょう。トリスタン役のレジスターとともに貫禄の舞台でした。そのせいか、第一幕の幕切れに登場したマルケ王が、若々しい感じの方なので何か冗談のように見えてしまった。第二幕で立派なバスと分かりましたが。オケ(イングリッシュ・ホルンがたまらない)も歌手陣もすばらしくとても満足しましたが、あえて突っ込ませていただくと、「牧童」が白のスーツに帽子と手袋のおじさんなので、?でした。また、第三幕で二人が再開するとき、視力を失っているため、両手を空に差し出すばかりで抱き合えず、胸が痛むのですが、クルヴェナルが少し離れたところに立っている。なんで手を貸してやらないのかなあ、臣下なのに、と思ってしまいました。
「愛の死」は、死後の世界だったのですね。教えていただきありがとうございました。あのシーンも?でしたが、音楽がすばらしいので、あまり気にしませんでした。
18日も客入りが今ひとつで、ワーグナーは長すぎて今の時代集客がむずかしいのかな、などと思いました。すばらしいのに、残念です。

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