2017-07

2016・9・2(金)山田和樹指揮日本フィルハーモニー交響楽団

     サントリーホール  7時

 柴田南雄の「コンソート・オブ・オーケストラ」、R・シュトラウスの{4つの最後の歌}(ソロは清水華澄)、エルガーの「交響曲第1番」というプログラム。かなり個性的な選曲である。コンサートマスターは扇谷泰朋。

 柴田南雄の「コンソート・オブ・オーケストラ」は、昔━━それが公開初演の渡邊暁雄と都響の演奏会(1973年)の時だったかどうかはよく覚えていないのだが━━聴いたことがあった。
 当時の私の感覚では、クラスターの手法など明確に認識できなかったし、何か冷い感じの巨大な音塊が押し寄せて来るような印象だけが残って、あまり面白くなかったという記憶がある。もちろん、当時の私の耳が幼かったのは確かだが━━といって、今だって怪しいものだが━━しかし他にも、会場のアコースティックや、オーケストラの技量なども影響していたのではないか、という気がしないでもない。

 いま、山田和樹と日本フィルの演奏で改めて聴いてみると、こんなにも豊かな響きの曲だったのかと、ただ驚くばかりだ。あたかもオーケストラのためのコンチェルト・グロッソともいうべく、各楽器群の呼びかけと応答とが実に精妙につくられている。
 ある個所では、弦楽器群の動きが木管群に移り、次いで金管群が主役を演じたかと思うと、それが打楽器群に引き継がれて行く━━という具合に、いわばステージの手前から奥へ音が移動して行く面白さもはっきりわかる。また、上手側に並ぶ低音楽器群から下手側へ音が流れ移って行くといったような、管弦楽法の細やかさが散りばめられていることも理解できるというものである。
 当時の日本の作曲家がこれだけのことをやっていたのだということ、それを、良い演奏によって再認識できたのがうれしい。

 山田和樹と日本フィルは、11月7日にも柴田南雄の作品を集めた演奏会をやることになっている。そこではあの「ゆく河の流れは絶えずして」も演奏される。合唱団が客席に散開し、聴衆一人一人の顔を見つめながら行う「口説」が、今どのように感じられるか楽しみである。

 「4つの最後の歌」では、日本フィルはいつもより随分「優しい」演奏をしていたが、もう少し柔らかい音が出れば、もっとこの曲の耽美的な良さが出たのではないか。もっとも、過度な耽美性に陥るのを指揮者自ら避けていたのならまた別だが━━。
 ただ、第4曲「夕映えの中で」で、山田がこの曲に耽美性の頂点を置こうとしていた意図が感じられ、方向性は読み取れたので、明日(2日目)の演奏は、全体にいっそう美しくなるだろうという気がする。
 ソリストの清水華澄も、この曲への初挑戦だった由。彼女らしい豊麗な声でロマン的な味をたっぷり出したが、オケとの呼吸は今一つか。あまり「歌い」過ぎない方が、この曲の彼岸的な世界を描き出せると思うのだが。

 エルガーでは、出だしはかなり野性的だったが、第2楽章以降の詩的な美しさを聴くと、これも明日の演奏ではもっと・・・・という気が。
 日本フィルの定期での演奏は、初日は(良く言えば)ダイナミックで、2日目になるとしっとりするのは周知の通り。
        ⇒モーストリー・クラシック11月号 公演Reviews

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