2017-03

2016・8・14(日)ザルツブルク音楽祭(4)グノー:「ファウスト」

       ザルツブルク祝祭大劇場  7時30分

 ザルツブルク音楽祭がグノーのオペラ「ファウスト」を上演したことは、これまでにあったのか、なかったのか。プログラムに上演史が載っていなかったところを見ると、初めてなのかもしれない。

 この演出と装置及び衣装を担当したのが、ラインハルト・フォン・デア・タンネン。装置は写実的なものではなく、極めてシンプルな景観ながら、この大劇場の左右に広い舞台をいっぱいに使った大規模なものである。
 冒頭、老齢のファウストが独り悩んでいる場面には、彼が歌いだす最初の言葉でもある「RIEN」(無)という大きな字が、空に浮かんでいる。この文字は最終場面、マルグリートが「死ぬ」場面にも再現する。彼女も真の救済を受けることなく、「無」の中に陥ったか。

 この最終場面で、ファウストがト書き通り、メフィストに操られるような形で舞台から姿を消したあと、彼女の最期を取り囲むのは、メフィストフェレスの精霊とでもいうべき、奇怪な異形をした者たちだ。彼らは、彼女が宝石の歌を歌っている場面でも、すでに彼女が悪魔の手中に落ちていたことを示すように、彼女の周辺で蠢いている。ちょうどあのフリーマン演出の「炎の天使」に登場した白い悪霊のような役割を、彼らは果たしているわけだろう。

 悪霊だけでなく、この舞台に出て来る群衆、兵士などはみんな黄色の服を着け、グロテスクかつ喜劇的な顔をしていて、一種の象徴的な存在として扱われている。兵士たちの凱旋の行進曲の場面で、上から巨大な骸骨が降りて来て行進のような動きをするという「余興」もある。

 ただこのように、装置と衣装には、つまりデザイン方面には目を惹くものがあるのだが━━肝心の演出となると、やや茫漠たる感を抑え切れぬ。登場人物たちは、白い大きな世界の中で夢のように浮遊しているという、そんな雰囲気が最後まで続くのだ。
 それゆえ、人間ドラマが何処にあったかというと、どうもはっきりしない。結局、観終った後には、これといったような感動的な印象が何も残らない・・・・そういった舞台なのだった。

 しかし、配役はいい。ファウストをピオトル・ベチャワ、メフィストフェレスをイルダール・アブドラザコフ、マルグリートをマリア・アグレスタ、ヴァランタンをアレクセイ・マルコフ━━この4人は聴きものと言えた。

 アグレスタだけは、ちょっとマルグリートのイメージとは違うなという感もあったが、多分これは演出のせいで、「舞台上で何をやっていたらいいのか解らない」立場に追い込まれ、それが歌唱にも影響していたのではないかという気もする・・・・つまりこの演出家が、もともと演劇的な演技を歌手に要求していなかったのではないかと思われるのである。

 しかしその点、舞台上で独特の雰囲気を放出できるベチャワとアブドラザコフの2人は、ただ居るだけでサマになっていた。またマルコフは、力強い声で存在感を主張していた。他に、シーベルをタラ・エラウト、ワーグナーをパオロ・ルメッツ、マルテをマリー・アンジェ・トドロヴィチという人たち。

 合唱はウィーン・フィルハーモニア合唱団という団体だったが、これはウィーン国立歌劇場の合唱団とは違うので、演技も少し素人っぽく、人数が多い割には、思いのほか声が来ないし、特に女声がか細く聞こえるのは不思議だ。1階席前方列(2列12)という位置で聴いたせいかもしれないのだが。

 アレホ・ペレスの指揮するウィーン・フィルが、瑞々しく透明で爽やかな演奏をしてくれた。近年売り出し中のこのペレスという人、私はなかなかいい指揮者だと思うのだが、客席の反応は今一つ。
 それにしてもウィーン・フィルは、相変わらずいい音だ! コンマスは今夜もライナー・キュッヒル。彼はマチネーのムーティ指揮のマチネーでも3日間アタマを弾いており、そのあとにこの長大なオペラのコンマスをも・・・・いつもながらエネルギッシュな人である。

 休憩が2回入って、終演は夜11時15分くらいになった。ちょうど時差ボケの余波が出て来る時期だから、こういうのはチト辛い。せめて7時から始めてくれればいいものを。公演日によっては8時開演の時もあるらしい。それにぶつからなくてよかった。
 なお今回、知人に頼んで入手した席は、1階1~3列ばかりという、不思議に前方の席ばかりだったが、昨日も今日も見渡したところ、前の方には日本人客がやたらに大勢いる。この辺りをまとめて流すルートでもあったのか。

(付記)この日、オケ・ピットでは、終演後にキュッヒルが指揮者から讃えられていた。ソロがあったせいかと思ったが、翌15日のムーティとウィーン・フィルの最終公演を聴いた人の話では、カーテンコールでキュッヒルがムーティから特別に起立させられ、讃えられていたとのことだった。キュッヒルも目を潤ませていたそうである。となると、やはりそれが彼のコンマスとしての「公式の最終演奏」だったのだろうか?

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