2017-05

2016・8・13(土)ザルツブルク音楽祭(2)
モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」

    モーツァルト・ハウス  7時

 スヴェン=エリク・ベヒトルフの演出が使われている、今のザルツブルク音楽祭でのモーツァルトの「ダ・ポンテ3部作」。このうち「コジ・ファン・トゥッテ」と「フィガロの結婚」はすでに観たが、一昨年プレミエされたこのプロダクションはまだ観ていなかったので、今回の旅程に入れた次第。

 大雑把に言えば、ホテルのロビーを舞台にして、マゼットがボーイ、ツェルリーナがウェイトレス、群集は大部分が従業員だか警備員━━といった以外は、主役たちは旅行者、という設定。
 このような「ホテルにおけるドン・ジョヴァンニ」は、以前ベルリンかどこかで、似たようなのを見た記憶がある。いずれにせよ、たいして新味のない発想だ。
 ジョヴァンニは「地獄には落ちることなく」舞台前方で倒れて死ぬが、残された一同が歌っている間に蘇り、不滅の存在であることを示唆して終るという流れ。これも形こそ違え、よく使われるテである。

 要するに他の2作と同様、すこぶる穏健にして保守的な舞台であり、のんびり観られるというプロダクションなのだ。これまでのパトリス・シェローや、ルカ・ロンコーニ(これはそこそこ)や、マルティン・クシェイや、クラウス・グートの演出がなかなか斬新で、論議を巻き起こすものだったのに比べると、今回のは何とも無難なものである。
 天下のザルツブルク音楽祭も、モーツァルト路線では完全に保守回帰というわけか。

 それはそれで、ある向きからは喜ばれるのだろうが、しかしそもそもこのベヒトルフという人の演出は、ウィーン国立歌劇場の「指環」もそうだが、細かく作られてはいるものの、作品について新しい問題を提起するといった斬新な感覚のようなもの━━強い個性といったものを、どうやら全く持ち合わせていないように思われる。
 ただ、他の2作は、上演会場が先年のモーツァルト・ハウスから今年はフェルゼンライトシューレに変わり、演出もだいぶ手直しされたという話も聞くが、もう一度観る気にもなれない。

 結局、残るのはやはり「音楽」だ。
 声楽陣は、ドン・ジョヴァンニがイルデブランド・ダルカンジェロ、レポレッロがルカ・ピサローニ、ドンナ・エルヴィラがライラ・クレーア、ドンナ・アンナがカルメラ・レミージオ、ドン・オッターヴィオがパオロ・ファナーレ、ツェルリーナがヴァレンティーナ・ナフォルニーツァ、マゼットがイウリー・サモイロフ、騎士長がアラン・クーロンブ。合唱がウィーン・フィルハーモニア合唱団。
 騎士長のみ少し重量感不足だったが、他の歌手陣は歌唱、演技とも、みんないい。ダルカンジェロとピサローニのコンビは巧者同士で絶妙だろう。ツェルリーナのナフォルニーツァが初々しく爽やかな魅力を振りまく。

 今回廻って来た席は、1階席2列目のど真ん中。指揮者アラン・アルティノグリュの真後ろだ。この位置からは、ウィーン・フィルがピットの壁の向こう側からたっぷりと豊麗に響いて来るのが聞こえ、しかも細部まで聞き取れる。
 もともと「ドン・ジョヴァンニ」は、モーツァルトのオペラの中でも最もオーケストラが雄弁で精妙で、登場人物の心理の動きを余すところなく描き出している作品なのであり、私たちはただもうその天才的な業に感嘆するしかないのだが、その魅力が、この席の位置だといっそうはっきりと味わえるのである。
 しかもアルティノグリュのテンポが、颯爽として歯切れがいいから、なおさらである。舞台の平凡さも、卓越した音楽により救われる。

 今回は前プロダクションと違い、ウィーン版でない「普通の」、フィナーレもちゃんとついた版での上演だったが、10時20分に終ったというのは、テンポも速めだった証拠だろう。
 劇場の外へ出ると、快晴の夜空が美しい。街路の温度計が18℃を表示していた。とにかく、爽やかである。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2500-bc513e49
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」