2017-08

2016・8・4(木)飯森範親指揮東京交響楽団

      サントリーホール  7時

 ソ連時代の作曲家ガヴリイル・ニコラエヴィチ・ポポーフ(1904~72)の「交響曲第1番作品7」が日本初演されるとあって、所謂「好き者」たちが詰めかけていたようである。ホワイエには若い人たちの姿も多かった。

 このポポーフという人、フランシス・マースの「ロシア音楽史」では全く無視されているが、ファーイによる詳細なショスタコーヴィチの伝記には、かなりしばしば名前が出て来る。といっても、その多くはショスタコーヴィチの交響曲「4番」や「9番」「10番」、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、「ヴァイオリン協奏曲第1番」などを絶賛していた、とかいう話ばかりで、辛うじて最後の方に、彼自身の「交響曲第3番」が「ジダーノフ批判」の頃に、形式主義的で反国民的だ、と非難されたという記事が出て来る程度だ。

 一方、「ニューグローヴ世界音楽大辞典」には、「ボロディンやグラズノフの叙事詩的伝統を継承した交響曲を・・・・」という記述があるけれども、後年の作品はともかく、今日の「1番」(1928~34年作曲)には、そういう傾向は未だ皆無である。
 むしろモソロフ(1900~73)の作品「鉄工場」(1927年)の影響下にある作風だろう。ポポーフの日記には、この曲について「労働者」「戦闘者」などといった言葉も出て来るそうだから、いずれにせよソ連の当時の風潮に乗ったものなのだろう。
 それにまたこの「1番」は、「鉄と鋼の交響曲」として有名なプロコフィエフの「2番」(1925年初演)と共通したところもある。あの頃には、こうした作風がある方面でブームになっていたのかな、とも思う。

 飯森範親と東京響(コンサートマスター グレブ・ニキティン)の大熱演は立派だった。こういう珍しい曲を定期のプログラムに載せた両者の姿勢も偉とする(また、聴いたことがないからと言って敬遠せずに、興味を持って詰めかけた聴衆も立派ではないか?)。
 ただ、作品の構築を自分の中で明快にイメージするには、私は少々暑さで疲労していたのかもしれない。刺激的な大音響がこれでもかと続く曲想には些か辟易させられた、というのが本音だ。

 しかし、ちょっと神秘的な第2楽章前半には、意外なほどの美しさを感じたし、特にスクリャービンの「法悦の詩」の終結を思わせる━━それよりは打楽器群の炸裂がけたたましく加わっているが━━昂揚と陶酔感を備えたエンディングには、非常に強烈な印象を受けたのはたしかである。

 コンサートの前半には、オリガ・シェップスというロシアの若い女性をソリストにしたラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が演奏された。

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