2017-03

2016・7・18(月)東京二期会 モーツァルト「フィガロの結婚」

      東京文化会館大ホール  2時

 13日にゲネプロを観たキャストとは別の組による2日目の本番公演。
 歌手陣は、アルマヴィーヴァ伯爵に与那城敬、伯爵夫人に増田のり子、フィガロに萩原潤、スザンナに高橋維、ケルビーノに青木エマ、バルトロに長谷川顯、マルチェリーナに石井藍、バジリオに高田正人、アントニオに畠山茂、バルバリーナに全詠玉、ドン・クルツィオに升島唯博━━といった人たちである。
 演出は宮本亜門、舞台装置はニール・パテル。サッシャ・ゲッツェル指揮の東京フィルが演奏。

 与那城敬の伯爵役は5年前にも観たが あの時の皮肉な薄笑いを浮かべただけの演技よりも今回の方が表現も格段に細かくなり、眼つきにもいやらしさのようなもの(?)が加わって、伯爵としての個性が明確に出るようになった。フィガロ役の萩原潤は闊達であり、ケルビーノの青木エマは上背のある容姿を生かして活躍。

 別キャスト組よりこちらの方が世代も若いので、勢いはいいはず、とある関係者が語っていたが、たしかにそうかもしれない。ただ、演技の点では、やはりベテラン組の方に一日の長があるだろう。若い組の方には、概して演技にまだ少しムリがある。その「わざとらしさ」が解消され、自然な性格表現ができるようになれば、と思う。

 サッシャ・ゲッツェルは、東京フィルを指揮して、極めてソフトな音楽を響かせた。テンポ運びも好い。
 ただ、もう少しオケを鳴らし、モーツァルトのオーケストラ・パートの雄弁な劇的要素を浮き彫りにしてもいいのではないかとも思う。伯爵の怒りがシリアスな形で爆発する第3幕のアリアなどでは、オーケストラが本来持っている劇的な要素をもっと強調してもいいのではないか、と。

 とはいえ、今回の宮本亜門演出のプロダクションでは、登場人物の内面の複雑な心理の襞を浮き彫りにするのが狙いではなく、単に生き生きとコミカルに躍動させることに重点が置かれているようだから、このように「平和で楽しく、美しい」音楽の側面だけを前面に出す━━という演奏でいいのかもしれない。
 言いかえれば、貴族と平民の激突を描くといったシリアスなタイプの「フィガロの結婚」ではなく、一日の明るい騒動を描くブッフォ的な「フィガロの結婚」を求めた演出であるなら、演奏もそれに合わせたものでよい・・・・ということになるわけだろう。

 これは、前述のアリアや、第2幕で激怒した伯爵が「貴様はこの館を去らねばならぬ」と夫人を恫喝する場面で、封建領主の怒りの凄さをオーケストラから引き出していたカール・ベームのような指揮とは対極的な性格にある、という意味なのだが、さりとて、どちらがいいとか悪いとかを言っているわけではない。

コメント

この日の公演を見終わったあと、それなりに面白かったが何かが足りない、充実感が無いという思いに捕われながら家路につきましたが、東条先生のおかげで原因がわかったような気がします。全体としては、研修所公演のような雰囲気でした。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2486-1cdaa1df
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」