2017-11

2016・7・16(土)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団
ブルックナー「交響曲第8番」

    サントリーホール  6時

 ブルックナーの「交響曲第8番ハ短調」。今夜のプログラムはこれ1曲だが、充分だ。使用楽譜はノーヴァク版第2稿。コンサートマスターは、客演の林悠介。

 東響の「ブル8」を聴くのは、6年前のスダーンの指揮以来のことになるか。あの時は、同曲のレコーディング直後とあって、オーケストラも冒頭から自信満々の雰囲気で、完璧な構築で演奏が始まったのが印象に強く残っている。もっとも、ああいう凄い第1楽章の演奏は、滅多にあるわけではない。

 今回のノットだが、第1楽章は、ちょっと手探り的な雰囲気を感じさせないわけではなかった。あるいは、ノリが今一つだった、というか。
 だが、第2楽章後半あたりからは、音楽に目覚ましい勢いが生じて来て、第3楽章と第4楽章は、非常に緊密度の高い音楽となった。特に第4楽章コーダの演奏は極めて立派なもので、最後の大頂点でいっぺんに奏される各主題が明確な形を保ったまま交錯していたことも、ブルックナーの意図を忠実に再現したものと言えるだろう。

 ノットの指揮は、スダーンのように突き詰めた隙のない構築志向とは異なり、もう少し開放感のあるものだ。が、壮麗な大伽藍を思わせる風格というより、内側に凝縮させた音楽づくりという点では、ある程度共通したものがあるだろう。
 演奏のイメージも、いわゆる巨大な連峰とか、山の奥深くにある静謐な湖とか言ったような自然の威容を思わせるものではなく、むしろ即物的な、音の大建築の趣を感じさせる。東響のふだんの演奏スタイルからいえば、こういうサウンド志向の方が、体質に合うだろうと思う。
 ノットの安定したテンポと、作為のない音楽づくりも好ましい。ことさら芝居がかったテンポの加速は行わず、第4楽章の【X】においても、コーダにおいても、彼はテンポを僅かに速めるのみである。そして、緊迫感が途切れることはただの一度もなかった。

 今や、大変な人気を集めるノット。ソロ・カーテンコールでの拍手は熱烈そのもの、ブラヴォーも盛んだった。
      音楽の友9月号 Concert Reviews

 ブラヴォーが盛んだったのはめでたいことだが、昨夜の大阪に続いて、今夜もまた・・・・。やれやれである。
 しかしこの2回とも、いずれも「指揮者の手が下りてから」だったのだから、さしあたりは文句を言うわけにも行くまい。残るは、デリカシーの問題である。
 それにしても、「拍手は指揮者の手が完全に下りてから」だの、「ホールに残る響きも音楽の一つ」だの、まるで子供に教えるような注意アナウンスを入れなければいけないとは情けない世の中だが、今度はそれを「遵守したタイミング」で、不相応なわめき声を発する御仁が出て来るとは━━。「浜の真砂は尽きるとも・・・・」だ。

 とはいえ、最近のように「注意書き」があまりに多くなると、逆にこう思うこともある。
 最弱奏で終結した場合は別だが、音楽が昂揚に昂揚を重ねて、最強奏で一気に終った場合には、聴き手もそのテンポに乗って感動の表現を爆発させることの方が、むしろ自然な衝動なのではなかろうか━━と。
 残響まで受け止めることはもちろん大切だが、その「手を下すまで」の沈黙が、時と場合によっては、長すぎる「演出」もしくは「強制」のように感じられてしまうケースも、あながち皆無とは言えないこのごろなのである。

コメント

今回の東響、エンジンがかかるのがちょっと遅かったですね。前半は正直心配になる部分がありました。でも、後半で大きく挽回しました。
掛け声については色々思うところがありますが、幻滅するのは、あの類いのほとんどが「奇妙な呻き声や呟き」のようなものであること。特に今回はマイクを意識した確信犯なので、余計に残念です。

何故、誰もスタンディングオベイションをしないのでしょう?

あんなに拍手やブラボーの声が出ているのに、スタンディングオベイションをする人がいないのは何故なんでしょう、長い間コンサートに行かなかったもので今不思議に思っています。

読者さんの「何故スタンディング・オベイションをしないのか?」というコメントを拝読しました。私は、スタンディングをしてしまうと、後ろの座席の方々が見えなくなると思い、かろうじて踏みとどまっています。消極的発想やろか?

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指揮者の手が下りさえすれば、とか、残響が消えさえすれば、というのは、形式主義の間隙をつく言い訳に過ぎないのではないでしょうか?
この日の聴衆(ブラブラ野郎除く)は、その後の静寂も十分に味わい、指揮者とオケの面々に賛辞を送りたいと思ったのでは?それはあの場にいれば、当然わかるはず。にもかかわらず、あの張りつめた静寂の中、ひとり悦に入ってブラボーを叫ぶ所業は、まさにゲスの極み。
かのフラブラ男は、その場にいた人たちの思いを無視して、自分の欲を満たしただけです。
勿論、曲によってはすぐに拍手が出ても致し方ないと思うこともあります。ただ、定期演奏会でのブルックナーはダメでしょう。あの場にいてそれも察することができないようでは、敢えて言いますが、演奏会に来てほしくない、と思います。
音楽に対する感受性があるのなら、想像力を発揮して周りの幸せな時間と体験を奪ってほしくないと、切望します。

コンサートテロリストについて

あの「ブラボー」が演奏にケチをつけたそれならばいいでしょう。
しかし、このP7列右手にいたコンサートテロリストは、叫んだ途端のホール全体の反応にたじろぎ、逃げるように出ていってしまったそうです。隣の席の方々で取り押さえなかったのが残念でなりません。彼は当日の全員の入場料を贖うべきほどの行為をしているのではありませんか?
私たちはコンサートにお金を払って行くのです。余韻まで味わいたい。
つい前々日のマーラー6番では30秒近い沈黙があったではありませんか。
しかし、シャルル・ミュンシュのブラームス2番で、最後の音を伸ばしたゆえに嵐のようなフライング拍手が終曲を盛り上げた例もあります。センス。ですね。
新都知事に「コンサートテロリスト取締法」を作って頂きましょう。

お疲れさまです。私は仕事で聴けませんでしたが、もしその“フラブラ野郎”が無事に会場を出られたのであれば、それを見過ごした周りの聴衆も同罪ではないか? ベートーヴェンの「7番」やマーラーの「1番」など曲の性質上、終止直後に「ワーーー!!」となってしまっても仕方ないと思えるものもあるが、ブルックナーでは絶対に許せない。 「指揮者のタクトが下りてから」というのはあくまで目安であって、沈黙状態を破り絶叫すれば同じこと。私なら逆ギレ覚悟で一声かけますね。直接注意するのは抵抗があるというのなら席番を記憶して事務局担当者に告げるということもできます。コンサート初心者がいきなりフラブラするとは考えにくいので、恐らくはベテランの人でしょう。ならばおのずと絞られてくるはず。 常習者となれば例の“御仁”のように何らかの処置をする会場もでてくるのではないでしょうか?  大変不躾ではありますが、以前、別のページのコメントでも引用させて頂いたK大学教授、K先生の文章をここで再び引用させて下さいませ。     “あなたがバカに対して、自分自身でただのひとことも文句を言わないのなら、あなたはバカと同じである。いや、バカよりさらにたちが悪い臆病者である。”

静かで厳しいブルックナー

 SNSなどを見ても「後半ほどよかった」という感想が多いようですが、私は、1楽章の演奏は静かで厳しい音楽だと感じ、そのために楽章ごとの雰囲気の違いや後半にかけて盛り上がっていく感じが出てよかったのではないかと思いました。その方が頭からノリノリで演奏するよりも、終盤の強奏が正当な盛り上がり方に聴こえたのじゃないかなと。
 録音はCDになって発売されるのでしょうか、楽しみです。

 「拍手はタクトが下りてから」のアナウンスですが、都響の「拍手は指揮者の手が下りてからお願いします」のようなものよりは、東響の「≪演奏にご満足いただけましたら≫拍手≪など≫は指揮者の手が下りてから」のような言い方の方が丁寧で(拍手を押し付けておらず)好ましく思っています。「余韻も音楽だと考えています」は余計な気もしますが……。
 アナウンスは毎回入れるのではなく、レコーディングが入っているときや最後の余韻が大切な大曲の時に狙い撃ちで入れるのがいいかもしれませんね。

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私もスタンディングでした😊大熱狂せずに、私達を熱狂させる❗録音、是非、このコンビのデビュー盤にして欲しいです。東条さんのFM力?!で、あの瑕疵を忘れさせて下さい。ノット、東響、もう、のがれられないのでした……😊

ノットのブラ「4」

またお邪魔します。最近聴いたバンベルク響とのブラームス:「4番」のCD(Bachfest Leipzig 2010)は素晴らしい演奏でした。オーソドックスなレパートリーだけでも勝負できますね。 この日の録音、発売されるのでしたら是非買わせて頂きます!(汚い絶叫フラブラはカットしてね) 関係者の方、もし読んでたらお願いします。(・・・ウルバンスキとのチャイコ:「4番」も発売してほしい)

やはり、残念ではあります。

確かに、最近、「拍手はタクトを降ろすまで」の間が長過ぎて、多少、嘘くさい静寂だなと思うことはあります。意見の相違はあるとは思いますが、あまり良いとは思えない出来でも間が極端に間が長いこともあり、なんか自作自演の印象すら受けることがあります。
でも、この演奏会のように、本当に素晴らしく、感動的な出来でのフライングは、やはり、興醒めするのは事実です。
具体的で有効な対策はあまり無いのかもしれませんが、確信犯でフライングをする悪質な聴衆を良く見かけるのは、音楽愛好家として残念でなりません。

聴衆マナーの荒廃

当たり前の話ながら人の感じ方はそれぞれ。「嘘くさい静寂」と感じる人もいれば、感動してその余韻をずっと味わいたいと思う人もいるはず。
海外では一気にブラボーも飛ぶしブーも飛ぶ。そうやって感じた気持ちを表すところがある。が、わが日本では感動してる人に「譲る」と言うところがあるのではないだろうか。これは誇るべき態度だと思う。
最近は強く静寂を求める人に対して「過度だ」などと言う人もいるようだが、そういうひねくれた考えに強い違和感やおかしさを感じる。昔は音の一音一音を慈しみ聴いたものだ。海外の著名演奏家が、リップサービスではなく、日本の聴衆を大切にしてくれた点はここにあるのではないだろうか(突っ込みがあるだろうから言っておくが、まあ高額なギャラもあるだろう)。
東条先生が「音楽テロリスト」と言われるところ、大いに賛同。
先生におかれては、折にふれて、関東関西等のホール、主催者に聴衆マナー向上の働きかけをお願いしたい。それと、音楽入門のコンサートや番組においても、必ず聴衆マナーのレクチャーをして欲しい。
かつては仲間の音楽通が後進に聴衆マナーは教えていったものだが、もう今や家庭躾教育と同様、そんなのは無くなった。なんとも情けない話だが、今やそうするより他はないのだろう。

小生も2階RBブロックにて拝聴いたしました。ノット音楽監督率いる(最近絶好調の)東響としては必ずしもベストの出来ではなかったように(アインザッツの乱れなども散見され、もっとできたはずとも)思うのですが、とは言え、非常に充実した演奏で十分満足いたしました。

しかし、あの最後のブラボーには白けましたね。最近、あのようなフライングのみならず、演奏中のおしゃべり、騒音、後席の聴衆の視界を遮る前傾姿勢、さらには、客席での指揮の真似事などに不愉快な思いをすることが増えており、聴衆のマナーが低下しているように思うのでありますが、読者諸賢各位におかれてはそのような印象はございませんでしょうか。「バカよりさらにたちが悪い臆病者」の小生としては、そのような迷惑な聴衆がいても、なかなか面と向かって注意することはできず、ひたすら心の中で呪いをかけ続けているのですが(笑)。

ところで、東条先生の最後のコメント「とはいえ、最近のように『注意書き』があまりに多くなると、逆にこう思うこともある。最弱奏で終結した場合は別だが、音楽が昂揚に昂揚を重ねて、最強奏で一気に終った場合には、聴き手もそのテンポに乗って感動の表現を爆発させることの方が、むしろ自然な衝動なのではなかろうか━━と。残響まで受け止めることはもちろん大切だが、その『手を下すまで』の沈黙が、時と場合によっては、長すぎる『演出』もしくは『強制』のように感じられてしまうケースも、あながち皆無とは言えないこのごろなのである。」については、強く共感いたします。

最近、ホール内での注意喚起が徹底されることもあって、最強奏で「ジャン!」と派手に終わる曲でも、聴衆が拍手を始めるタイミングを掴みかねて周りを見ながら探っているようで、何か違和感を持つ(ギクシャクした居心地の悪い空間を感じる)ことが少なくありません。指揮者が振り終えても、タクトが高い位置に残っている場合は、まだ拍手してはダメなんだと皆さん頑張って自重しておられるようで、日本の聴衆ってホント真面目なんだなぁ(そこまで一言一句厳重に守らなくても)とも思いますが・・。スクロヴァチェフスキ指揮読響のブルックナー8番(東京芸術劇場)でもフライングがありましたが、後日のNHKの放映では見事にカットされていたので、今回の録音でもそこはうまく修正されることでしょう。

話は変わりますが、ホール内での注意と言えば、都内の某ホールにて(会場の名誉のため、あえて名前は秘す)、やはり演奏前に(録音・録画・写真撮影はお断り、指揮者のタクトが下りるまで拍手は控えろ、との)アナウンスが流れたのですが、原稿を読み上げていた女性が一番最後に「なにそつ、よろしくお願い申し上げます」と言ったので、「なにとぞ(何卒)だろうが!」と客席で思わず突っ込んでしまいました(笑)。

以上、最後は雑談にて失礼いたしました。

フラブラ・フラ拍予備軍が増えてる?

〈長すぎる「演出」もしくは「強制」のように感じられてしまうケースも、あながち皆無とは言えない〉
私は演出とか強制でも構わないと思います。先生にはそういうおそれはないですが、「我慢」とか言ってる意識を持つ人はもう結構フラブラ・フラ拍予備軍なのだと思います。
もうなんなら拍手無しでもいいと思うこの頃です。
都内楽団奏者に知り合いがいるのですが、フライング性のものはやはりとっても不快だと言ってますし、何よりも音楽の余韻を楽しみたいお客様に対する配慮(思いやり)ない自分勝手な無粋さに腹が立つと言ってました。
極端な話、チケットの裏側にフラブラ・フラ拍はしないと言う誓約書に署名した上で入場を許す位にしないと、音楽テロリストの排除はもう出来ないと思います。
結果として起きたのには、一度警告し、次にまたやった時は法的手続きを主催者も積極的にやるべきかと思います。

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