2017-07

2016・7・14(木)コルネリウス・マイスター指揮読売日本交響楽団

      サントリーホール  7時

 来年4月には読響の首席客演指揮者に就任することになっているコルネリウス・マイスターが、ハイドンの交響曲第6番「朝」と、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」を指揮した。

 ドイツはハノーファー生れ、まだ36歳という若さだが、欧州ではウィーン放送響の首席指揮者を務め、また近々シュトゥットガルト州立劇場の音楽総監督になることが決まっているなど、活躍の場を拡げている人である。
 ウィーン放送響との日本での演奏はあまり面白くはなかったけれども、読響への客演指揮での「アルプス交響曲」(14年9月)はまとまりもよかったし、オケとの相性も良いように感じられたことは確かである。

 ただ彼はやはり、根が真面目で、几帳面なタイプの指揮者なのかもしれない。
 マーラーの「悲劇的」のような作品を指揮した時には、所謂「狂気」には陥らないタイプだ。作品のダイナミズムをきちんとまとめ、大編成の管弦楽をバランスよく構築することに重点を置く。
 それゆえ、この交響曲のエクセントリックなスリルを求める聴き手には些か物足りなく、むしろ大音響のくどさを感じてしまうだろう。しかし、この曲から狂気じみた興奮を取り去って、作品を古典的な形式性という点から見つめ直そうとする場合には、それは極めて興味深い解釈かもしれない。

 そういうこともあって、今日のプログラムの中では、ハイドンの交響曲の方が、彼の端整な均衡の指向が生きていた。澄んだ音色と、率直な佇まいが成功している。彼マイスターの良さは、どちらかといえばウィーン古典派の作品とか、過度にロマン的な作品でないものの方に出るのではないか?
 まあ、今後、協演の機会が増え、両者の呼吸が合えばまた、別の面白さが出て来るだろうと思う。

 読響(コンサートマスターは小森谷巧)は、マーラーではいつものように馬力充分の威力的豪演。一方、ハイドンでは、各パートのソロが映えた。ファゴットも、フルートも・・・・。
 チェロのトップの女性のソロがめっぽう鮮やかだと思ったら、なんと遠藤真理だった由。もしや彼女も「読響の向山佳絵子」となるのか?

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2482-f15ea26c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」