2017-09

2016・7・2(土)エクサン・プロヴァンス音楽祭(終)
ドビュッシー:「ペレアスとメリザンド」プレミエ

     プロヴァンス大劇場  7時30分

 3日目にして、やっと満足すべき上演に出会う。

 これは、英国の女性演出家カティー・ミッチェルが手がけたプロダクション。
 舞台上に、幻想と現実、過去と現在、現実認識と潜在意識、本人と分身━━など相反する要素が混在し、かつ交錯して、ちょっと紛らわしくややこしく、煩わしいところもある演出だが、間もなく手の内が解ると、このややこしさが実に面白く感じられるようになる。
 とにかく、この物語全体を「メリザンドの夢」として収斂させた発想は、なかなか秀逸である。

 メリザンドには、分身がいて━━この両者がまた実によく似ていて、どちらがどちらか判らなくなることもあるくらい巧く出来ている━━彼女自身が「夢の中」で、ペレアスに恋する自己と、ゴローの妻たる自己とを別々に認識しており、舞台ではこの「2人の自己」が、同時に正反対の行動をとることが多い。

 一例を挙げれば、ゴローがイニョルドに命じ、ペレアスとメリザンドの様子を覗き見させる場面では、室内でメリザンドがペレアスと全裸で向き合っているのを、「もう一人のメリザンド」が、窓外で激するゴローを必死に押しとどめている、といった具合。
 また終幕の「メリザンドの死」の場面では、歌っている方のメリザンドは動いていて、「幻想上のペレアス」の姿に縋り、いっぽうベッドには息を引き取りつつある別のメリザンドがいて、人々はそれを囲んで悲嘆にくれている、という光景だ。

 そして全曲の最後は、冒頭と同じ衣装のまま、誰もいない寝室のベッドでハッと起き上がり、総てが白昼夢だった、と茫然とするメリザンドの姿で閉じられる。
 この部屋が、ドラマの冒頭シーンでは、ベッドや家具と一緒に森の木々が混在する光景になっていて、そこへ銃を携えたゴローが出て来て・・・・という設定だったわけだから、これで全てが繋がったことになるわけだ。
 実を言えば、予備知識なしでこのオペラの開始部に接した時には、また全部が室内で行われるタイプの「ペレアス」か━━と一瞬たじろいでしまったのだが・・・・。
 そういえば、彼女の衣装が正装だったのは、もしかしたら彼女はだれかとの結婚式に臨む直前だったのか?

 いずれにせよ、この演出は、メリザンドの深層心理を描き、そのセックス願望やロマン願望、自己破壊的な心理━━といったものを浮き彫りにしたものであることは、確かであろう。
 それゆえ彼女の眼には、ゴローを含めたアルケル一家の者たちが、優しいけれども時に幽霊のように見えることがある。ペレアスだけは、常に愛の対象として描かれる。

 この舞台が、中央の本舞台と、下手側4分の1程度の幅の副舞台(?)とに分けられていたことも、アイディアとしては悪くない。
 たとえば、間奏曲の部分では本舞台の幕が閉まり、副舞台の方で、その間のドラマの動きが登場人物たちの演技で示される。そしてその間に本舞台の方は、寝室、食堂、古いプール(これが原曲の「泉のほとり」になる)、倉庫(これは海岸)など、様々な場面に転換されるという仕組だ。いくつかある間奏曲の部分を、回り舞台などを使わずに視覚化する方法としては、巧いテだろう。

 ただ、この副舞台なるもの、下手寄り前方に座っていた私には至近距離で観やすかったが、上手側前方の客にとっては見切れが多かったはずで、苛立たしい思いをした人も多かったのではないか。

 こういう舞台の面白さに加え、演奏が、文句のつけようもない素晴らしさだった。
 なにより、メリザンドを歌い演じたバーバラ・ハンニガンの、柔軟な身体の動きを交えた表情豊かな演技と、清楚で芯の強い歌唱の見事さ。この人は本当にすごい歌手である。
 そして、演出上の役柄表現の面でこそ彼女に食われた感もあるものの、歌唱では一歩も譲らぬ表現力を示したペレアス役のステファーヌ・ドゥグー、ゴロー役のロラン・ナウリ(この人も素晴らしい性格俳優だ! 私は大ファンである)、アルケル役の重厚なフランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ。
 その他、ジュヌヴィエーヴ役のシルヴィ・ブルネ=グルッポーソ、イニョルド役のクロエ・ブリオ、医者役のトーマス・ディアーも、しっかりした脇役ぶりで舞台を支えていた。

 そして観客を最も沸かせたのは、指揮のエサ=ペッカ・サロネンと、「彼のオーケストラ」フィルハーモニア管弦楽団である。
 サロネンのドビュッシーは、やや冷徹なところはあるけれども、明晰な光を当てた音の交錯が実に鮮やかだ。オケも美しくて上手いこと、場面が一転してフルートのソロが始まる瞬間など、なんとまあ「別の世界の幕開き」といったような、雄弁な表現力を感じさせたことか。
 この音楽祭でサロネンの指揮を聴いたことは、2013年の「エレクトラ」を含めて何回かあるが、今回ほど「最高の出来」だと思ったことは、かつてなかった。

 プレミエなので、カーテンコールではミッチェルら演出チームも舞台に登場、拍手は大きかったが、当然ブーイングもかなり出た。私の後ろにいた男性数人がムキになってブーをわめいていたのが、可笑しみを誘う。
 そのあと、珍しく大勢の裏方たちまで答礼に現れたが、舞台転換が甚だ凝っていたことを知っている観客の拍手は、彼らに対しても大きかった。

 私も、この3日間で、初めてカーテンコールの最後まで客席にいて、熱烈な拍手を贈った次第である。だが、休憩で帰ってしまった客も少なくなかった。甚だしきは、演奏中に帰ってしまったのもいた。たいてい、着飾った若い女である。縁なき衆生は度し難し。
 私の周囲もいくつか空いたので、知らない同士ながら顔を見合わせてニヤリと笑い、どんどん真ん中の空いた席に移動する。これがヨーロッパの劇場のいいところだ。空いていれば、詰めていいことになっているのである。

 11時15分頃に終演、この時間が妙に早い時間に思えるようになっている。ホテル帰着は11時半。
 今回はHotel Artea Aix Centreというホテルに泊まったが、両方の劇場に近く、便利な場所にある。
       ☞別稿 モーストリー・クラシック10月号

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