2017-08

2016・7・1(金)エクサン・プロヴァンス音楽祭(2)
ヘンデル:「時と悟りの勝利」HWV46a プレミエ

    アルシェヴェーシェ劇場 夜10時

 ヘンデル最初のオラトリオ「時と悟りの勝利 Il Trionfo del Tempo e del Disinganno」(2部構成版)なる作品の上演。
 ヘンデルには、これを3部構成に改作した「時と真理の勝利」HWV46bというのもあるが、今回は「HWV46a」、つまり初版による上演、ということになる。

 今回のは、クリュストフ・ワリコフスキが舞台視覚化したプロダクションだ。
 声楽面での登場人物は、「美 Bellezza」(サヴィーヌ・ドゥヴィエイユ)、「陽気 Piacere」(フランコ・ファジョーリ)、「知識、悟り Disinganno」(サラ・ミンガルド)、「時 Tempo」(マイケル・スパイレス)の4人のみだが、その他にも黙役あるいはダンサーとして、青年たちや美女たちが大勢登場する。
 指揮がエマニュエル・エイム、オーケストラがル・コンセール・ダストレ。

 何より、この歌手陣と、エイムの指揮とオーケストラが、表情豊かな演奏で素晴らしい。
 オーケストラは、決して大きな音ではなく、むしろ品のいい中庸を保った響きなのだが、これがきわめて自然な息づきを以って流れて行くのが快い。テンポの速い個所、激した個所での緊迫感も見事だ。
 それに歌手4人も━━舞台の上や、客席下手側の芝生と樹がある場所でオペラ同様の演技をしながら繰り広げる歌唱が鮮やかである。

 舞台中央に巨大なガラス張りの箱があり、その中でダンサーたちが踊ったりするのだが(ヘンデルの音楽に乗っていまどきのロック風のダンスや、美容体操だかストレッチだかが展開される光景は傑作だ)、「美」と「陽気」もこれに加わることもある。
 だが「美」には、その美しさを保つための悩みの方が多い。一方、「時」と「悟り」は分別臭い老人的メイクと、やや横柄でシニカルな態度で落ち着いた演技を繰り広げる。
 要するに「美」と「陽気」は限りある身でいつか滅びるもの、それに対し「時」と「悟り」は永遠なるもの、という内容のオラトリオだから、その対照を舞台につくり出すのは予想されたことだった。巧く舞台を作ったものだと感心させられる。

 その演出のワリコフスキ、感心させられたのは事実だが、しかし余計なことをやり過ぎるところもある。
 たとえば第1部の最後、幕が降りて、演奏者への拍手とブラヴォーが爆発する━━はずだったが、突然その幕に彼のインタビューが映写され(またやった!)、電話の応対の模様まで入れたその演技(?)のクサイこと、くどいこと。
 終った途端に観客から失笑とブーイングが出る。そこで手を叩けば彼に拍手を贈るような形になると誰もが思ったのだろう、少数の観客がパラパラと拍手したのみ。本来起こるべき、素晴らしい演奏をした音楽家たちへの称賛がどこかへすっ飛んでしまったのは、何とも気の毒なことであった。

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