2017-05

2016・6・25(土)川瀬賢太郎指揮 神奈川フィル&名古屋フィル

      横浜みなとみらいホール  2時

 二つのオーケストラの合同演奏という、一種の大イヴェント。
 プログラムは、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」(ソリストは菊池洋子)と、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。しかもそのあとにアンコールとしてチャイコフスキーの「白鳥の湖」からの終曲まで演奏されたので、終演は4時半になった。

 若きホープ、川瀬賢太郎は、神奈川フィルの常任指揮者と、名古屋フィルの指揮者とを兼任しており、特にこの1,2年における、彼の成長と活躍ぶりは、実に目覚ましいものがある。今日、このステージで、2つのオケを堂々と制御する彼の姿を見ていると、いい指揮者になったものだ、と嬉しくなる。

 今日のモーツァルトでも、第1楽章提示部のオーケストラの鳴らし方など、まさに楽譜指定の「アレグロ・マエストーゾ」に相応しく、安定して恰幅のある響きだったのには感心させられた。ソリストの菊池洋子の、歯切れのいいヴィヴィッドなピアノと完璧に琴瑟相和していたかどうかまではちょっと微妙だが、まず気持のいい指揮ぶりだった。

 ショスタコーヴィチでは文字通り、獅子奮迅の指揮である。第1楽章は未だ調子が出なかったのか、弱音の個所での緊迫感が希薄になるということがあったり、所謂「戦争の主題」の反復の中で管弦楽のバランスが失われて主題が埋没することがあったり、怒号個所の響きが混濁の極みになるということがあったりしたものの、その一方で、中間2楽章で彼が引き出した繊細な叙情性には、注目すべきものがあったろう。
 オケの音がどんなに咆哮しても、全体が細身の音になるというのは、オケの━━特に神奈川フィルの個性のせいもあっただろうが、川瀬自身の個性のゆえもあったかもしれない。だが、終楽章の昂揚個所はなかなかのものがあった。

 今日のオーケストラは、モーツァルトでは日比浩一(名フィル)が、ショスタコーヴィチでは石田泰尚(神奈川フィル)がそれぞれコンサートマスターを務めた。前者は弦12型、後者は20型という編成だったが、たとえば第1ヴァイオリンでは2曲とも両団体の奏者が各プルトの外側と内側に交互に配置されるという具合である。

 「レニングラード」では、管と打楽器陣はよく鳴ったものの、弦は第1楽章など細身だし、この人数の割にはこの程度の音量か・・・・という印象もなくはなかった。しかも「戦争の主題」での小太鼓のリズムが明晰さを欠いていたため、初めのうちはどうもメリハリを欠いた演奏に聞こえてしまったのである。

 しかし前述の通り、中間2楽章の叙情的な楽想の個所は美しかったし、特に弦は、第3楽章では、日本のオケらしい繊細な表情を発揮していた。また第4楽章後半での昂揚個所も、第1楽章冒頭に比べればよく鳴っていたし、昂揚感にも決して不足はしていなかった。おそらく27日の名古屋公演では、最初からパワー全開でとばせるのではなかろうか。

 ただ、細身だとか、量感的に少し物足りないところがあるとか言っても、それはやはり作品のイメージに基づいての話だ。
 つまり、「レニングラード」ではどんなに全管弦楽が怒号しても、音量はそこそこの程度という感だったのに対し、同じ4管の、しかも何とバンダまでそのまま加わった編成で演奏されたアンコールの「白鳥の湖」終曲のほうは、まるでバケモノのような異形の音楽に感じられてしまったからである。しかしまあこれは、一種のご愛敬とでもいうべきアンコールであろう。
        ☞音楽の友8月号 Concert Reviews

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