2017-05

2016・6・9(木)大野和士指揮東京都交響楽団

    サントリーホール  7時

 久しぶりで大野=都響の快演に出会ったような気がする。
 昨年、彼が音楽監督に就任して以降の演奏会━━春のベルリオーズの「レクイエム」やマーラーの「7番」、秋のバルトークやドビュッシーなど━━はどれもあまり納得が行かず、むしろ就任前の一昨年秋のシベリウスやバルトークなどの方が良かった、とさえ思っていたのだが、ようやく両者の呼吸が再び合って来たのか、今回の定期では、彼の音楽も、都響の響きも、極めてまとまりのいいものになっていた。

 プログラムは、ブリテンの「ピーター・グライムズ」からの「4つの海の間奏曲」と「イリュミナシオン」(テノールはイアン・ボストリッジ)、ドビュッシーの「夜想曲」から「雲」と「祭」、スクリャービンの「法悦の詩」と並んでいる。
 題名を見れば、ある一つの流れがあるのにすぐ気づく。「海」「光」「雲」という「自然」のテーマだ。最後に「法悦」となるのも、「自然」とは少し違うが、何となくそれらしく、解ったような気になる組み合わせといえよう(こういう「テーマ性」を持たせたプログラミングは、都響ではかつて若杉弘がよくやっていたテである)。
 だが、コンセプトが面白いだけではない。実際につくられる音楽がその流れに乗って色彩を変えて行くという大野の指揮も見事だった。

 都響(コンサートマスターは四方恭子)も、いい音を出した。ブリテンの2つの作品における弦のブリリアントな美しさは際立っていたし、金管群も輝かしい音色で映えていた。「祭」でのミュートの3本のトランペットだけは今一つ・・・・の感はあったものの、それは些細なことでしかない。
 
 全体として、ピアニッシモにおける美しさと爽やかさ、凛とした鮮やかな音色が素晴らしい。ただし、最強音で轟く際のハーモニーには━━特に「祭」において━━もう少し明晰で澄んだ音色が欲しいところである。都響もインバルの指揮の時には、そういう音を出していたはず。
 とはいえ、「法悦の詩」でのクライマックス個所は、曲想が曲想だけに、そんなことを云々する前に、光と怒涛の大音響の「法悦」に巻き込まれてしまったというところ。
 結局、やはり演奏は素晴らしかったのである。

 ボストリッジは、この作品を自家薬籠中の物としているだけに堂に入った歌唱で、文句のつけようがない。かなり以前、ザルツブルクのイースター音楽祭で彼がこの曲を歌ったのを聴いたことがあるが、その時よりも遥かに歌唱のニュアンスが細かくなっているように感じられた。
 そして、その時協演したラトルとベルリン・フィルの演奏より、今日の大野=都響の演奏の方が、これもはるかに瑞々しく多彩で、まさに「光」に満ちているように感じられたのである。

 もっとも、「イリュミナシオン」が終って休憩になった時、ロビーへ出る途中で、知らない女性が仲間にこう話しているのを小耳に挟んだ━━「今の曲、歌詞はフランス語でしょ? あたし、どう聞いてもフランス語に聞こえなかったわよ」。
 これは、きびしい。
          ☞別稿 音楽の友8月号 Concert Reviews

コメント

そもそもボストリッジはフランス語による歌唱にはこだわっておらず、むしろ母国の作曲家であるブリテンの音楽としての表現に集中しているように思います。ブリテン自信がフランス人に歌わせようと書いた訳ではないですからね。でも、一度フランス人の歌で聴いてみたい気もします。

「フランス語」がフランス語に聞こえない!というタイプの怒りは、
フランス語ならではの怒りなのでしょうね。

この手の「怒り」は、
英語ではありえない気がします。
もちろん、日本語でも。

・・・もしも、外国の方が、日本語で歌ったら、
どれだけたどたどしい発音でも、
「日本語に聞こえない」というコメントは
出ないのではないか、と。

コトバの「許容範囲」って、面白いですね。

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