2017-06

2016・6・3(金)ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団

     サントリーホール  7時

 折も折、ネゼ=セガンのMET音楽監督就任(2020年秋)と、フィラデルフィア管音楽監督任期の延長(2026年春まで)が発表されたばかり。ロビーでもそれがファンたちの話題になっていた。

 彼とフィラデルフィア管のコンビは、2年ぶりの来日だ。今回は東京・大阪・川崎で計5回の公演。
 3回目の公演に当る今夜は、シベリウスの「フィンランディア」、武満徹の「アンドレイ・タルコフスキーの追憶に」(ヴァイオリン・ソロは五嶋龍)、ブルックナーの「交響曲第4番《ロマンティック》」が演奏された。

 武満の作品がプログラムに織り込まれたのは、どのあたりの企画なのかは知らないけれど、大いにありがたいことだ。このオーケストラの美しい弦の音色が、この曲の秘めやかな叙情性を明晰に描き出す。外国の指揮者やオーケストラが武満作品を演奏すると、概して隈取りのはっきりした構築になるのだが、それがまた新鮮で面白い。

 一方、シベリウスとブルックナーにおける演奏からは、前回よりもさらに顕著に、かつての豪華絢爛にして美麗な「フィラデルフィア・サウンド」も大きく変質してしまったような印象を受ける。この2曲では、かなり荒々しい音づくりが為されていたのだった。

 とはいえ、「フィンランディア」では、綿密なテンポと巧みなフレージングが冴えていたし、次の主題やモティーフに移る際の、ほんのちょっとしたテンポの調整の呼吸の巧さが絶品であった。これを聴けば、ネゼ=セガンという指揮者はやはりただものではない、という印象を強くするだろう。

 ただしブルックナーの「4番」は、これまでのブルックナー像を根本から覆した演奏といってもいい。
 これを聴く限り、ネゼ=セガンは、ブルックナーの音楽の持つ、オルガンから発想された音の分厚い積み重ね、神秘性、宇宙的な壮大さ、清澄さ、落ち着いた高貴さ、それにもちろん宗教性もだが━━そういったさまざまな特質を全くと言っていいほど排除してしまい、むしろ強大な音のマッスとしての劇的な起伏のみを重視する音楽をつくっているのではないかと思える。音量的にクライマックスとなっていた第4楽章など、恐るべき破壊的なブルックナーだった、と言ってもいいのではないか。

 「ブルックナーから宗教性を取り去り、もっと自由なイメージを」と主張したのは1990年代のフランツ・ウェルザー=メストだったが、それでも彼の指揮は、まだ伝統的なブルックナー・トーンを基本としたものだった。
 だが今、こういう解釈によるブルックナーが、ついに現実に出現して来たとなると、時代の変遷を目の当たり見た思いになり、感慨に浸らないではいられない。今のところは私の好みには合わないけれど、非常に興味深く聴いたのは事実である。

 もしかしたらこれは、いわゆるアンチ・ブルックナー派とか、そこまでは行かずともブルックナーはどうしても合わぬ、と言っている人たちには、面白がられ、受け入れられるかもしれない。

コメント

おじゃましまーす。パンフレットに載っていた武満さんの思い出が、超面白かったです。
初めて実演に接し、かつ初めて聴いた曲でしたが、音大の専門家にまったく相手にされず酷評された武満さんらしい音楽でした。作曲家は死んでも、いい作品は演奏されて残っていきますね。

ブル4・・・新しいかどうかわかりませんが、強弱の弱がないというか、フォルテッシモのてんこ盛りというか、この指揮者、ドイツやウィーンでは評価されるのでしょうか。メト就任で、アメリカ人には大受けだったレヴァインの姿が重なりました。

お疲れさまです。私は、今回のネゼ=セガン/フィラ管の日本公演を物好きにも全て聴きました。結論から申しますと大満足!!まさに夢のような5日間でした。感想をたった一言で表現するなら“参りました”でしょうか。このオーケストラがどれほどのツワモノ揃いなのか、その実力、底力を“これでもか”と思い知らされました。  「前回より顕著に豪華絢爛、美麗のフィラデルフィアサウンドは大きく変質してしまった」とのことですが、私の耳には“豪華絢爛、美麗のフィラデルフィアサウンド”に聞こえたので意外でした(4日の「シェエラザード」は特に!)(反対意見ですいません)。 私が、初めてこのオーケストラの生演奏に接したのは、W・サヴァリッシュ(「新世界」他)の時代からなので、ムーティ、オーマンディあたりと比較されてるのでしたら私にはどうしょうもなく、降参するしかないですが・・・。 3日のブルックナーについての、「根本から覆したブルックナー演奏」には私も同感を覚えますが、否定的な意味では全くなく、まさに現代的で、当日プログラムにも載っていたフィラデルフィアの町並みと、そこを颯爽と歩くネゼ=セガンの姿が、そのまま音楽と重なる斬新な解釈。ネゼ=セガンの自作自演といっても過言ではない演奏で、オーストリアの田舎の地味な性格の作曲家の姿は全く想像できないスタイリッシュな演奏でシビレました!! 反対に“とてもじゃないが、ついていけない”と思う人がいるというのも大いに理解できます。ですが、“時代は変わった(替わった)”のです。  それと、反対意見ばかりで大変申し訳ないのですが、「荒々しい音づくり」「破壊的」とのことですが、東条さんのお聴きになられた席は、いつもの2階正面の席で? 私の席は2階L側最前列でしたが、そこでの私の耳には、そのようには聞こえなかったのです。初日の文化会館に比べて金管の音が柔らかく、ふくよかに聞こえるなぁ・・・と思ったぐらいなので。初日は、1階正面でしたので、多少鋭く聞こえましたが、それも私には“現代的”“斬新”に感じられたのです。当日プログラムのインタビューにも、「フィラデルフィア管というオーケストラをブルックナーと組み合わせることで、よく聴かれるブルックナー演奏とは非常に異なるものを聴いて頂ける・・・云々」と言っています。彼は、はっきりと意図的に確信的にこういう音楽づくりをしているのですね。因みに彼がロンドン・フィルと演奏した「8番」(プライヴェート音源)では、かつての巨匠(テンシュテット等)を思わせる重量級ブルックナーが聴けます。オーケストラの個性を尊重しているということですね。  これからも毎回、楽しみに拝読させて頂きます!

追記

ネゼ=セガンは、ベルリン・フィル、バイエルン放送響では既に常連です。ウィーン・フィルにも度々招かれています。確かに“派手”ですが、ただ派手なだけの単細胞指揮者じゃないことは、今回のツアーでも演奏されたプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番での蠱惑的な弱音を聴けばわかります(ハープが異常にうまかった)。   それとこの日の終演後、「アンコール、ニッチヨービ」と言って客席の笑いを誘っていましたが、土曜日もアンコールは演奏されました(グラズノフ:「四季」より)。漏れ伝わってきた話によれば、ヘルニアを患っていたとのことで、予定されていたサイン会が中止になったりなど、体調はかなり悪かったらしいとのこと。それでもあれだけの演奏が出来るのだから、やはり一流のプロ根性のなせる業だと思います。

ご無沙汰しております。

小生は、サントリーホールでの2公演を拝聴いたしました。まず初日の「フィンランディア」のゴージャスな響き、現代オーケストラの完成された究極の姿に接したように思え、圧倒されました。そして、感銘が深かったのは、ブルックナーよりもブラームスの方でした。ブラームスの後半、3楽章あたりからギアが一段シフトアップされ、演奏の燃焼度がグッと上がったように感じました。アンコールのバッハ/ストコフスキーにおける艶やかな弦の音色にもため息がでましたし、五嶋龍さんも立派な独奏を聴かせてくれたと思います。

ここで思い出話をさせていただくことをお許しください。小生は、仕事の関係で1993年の秋から米国フィラデルフィアに滞在しておりました。サヴァリッシュが音楽監督に就任した最初のシーズンで、演奏会場は、まだアカデミー・オブ・ミュージックでしたが、毎週末にフィラデルフィア管弦楽団の演奏会に行っておりました。名コンサートマスター、ノーマン・キャロルの最後のシーズンでもありましたが、デュトワが頻繁に客演していたのに加え、ラトル、ペーター・フロール、ウェルザー=メストなどの演奏にも接しましたし、まだ若きダニエレ・ガッティがプロコフィエフのロミジュリを演奏、その素晴らしい音楽性にノックアウトされたことも覚えています(残念だったのは、ミュンフンの客演(マーラー1番)がエール・フランスのストのためキャンセルになったことでした)。ヴァイオリンの岡さんなどは勿論のこと、首席オーボエのウッドハム、ピッコロの時任さんなど、そのときと変わらぬ名前をプログラムに見つけることができてとても懐かしく思いました。時任さんはリタイアされるとのこと、欧米のメジャーオケの木管奏者として活躍された日本人奏者のさきがけではなかったでしょうか。今後のさらなるご活躍を心からお祈りしたいと思います。

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