2017-08

2016・6・1(水)新国立劇場「ローエングリン」(4日目)

      新国立劇場オペラパレス  5時

 2012年6月にプレミエされたプロダクションの再演。
 演出がマティアス・フォン・シュテークマン、舞台装置・光メディア造形・衣装がロザリエ、照明がグイド・ペツォルト。

 演奏陣は、今回は飯守泰次郎指揮東京フィルと新国立劇場合唱団、クラウス・フローリアン・フォークト(騎士ローエングリン)、マヌエラ・ウール(ブラバントの姫エルザ)、ユルゲン・リン(フリードリヒ・フォン・テルラムント伯)、その妻オルトルート(ぺトラ・ラング)、アンドレアス・バウアー(ハインリヒ国王)、萩原潤(伝令)。
 なおフリードリヒ配下の4人の貴族には望月哲也、秋谷直之、小森輝彦、妻屋秀和という錚々たる顔ぶれが配されていたが、その大半は主役のアンダーを受け持っている人たちである。

 前回これを観たのは、奇しくも4年前のこの日━━2012年6月1日のことだった。あの時は第1幕途中の、ローエングリンが「禁問の動機」を歌っているさなかに地震が起こって━━などの話は当該項に記載済みだから、ここでは省く。とにかく、それと同じ舞台である。演出は交通整理的なものに止まるが、結局はロザリエの美しい「舞台」が全てだ、というプロダクションだ。

 今回、これまでの例からして、どうせ初日はオーケストラがヨレヨレだろうと思い、わざと4日目を選んだのだが、帰りがけに出逢った業界の某プロデューサーの話では、今日の演奏はちょっと「中だるみ」で、オケはマアマアだったけれど、特に男声主役歌手は、フォークト以外はみんな初日の方が緊張感があって良かったように思う━━とのことだった。

 なるほどそうかもしれない、と思った。今日のフォークトの歌唱はかなりの馬力を感じさせたが、彼の個性からすると、あれだけ声が突出して聞こえていたのは、他の男声歌手があまり冴えなかったからではないか、と思えないでもなかったのだ。しかしとにかく、みんな生身の人間なのだから、日によって調子が上下するのは、致し方ない。

 エルザを歌ったマヌエラ・ウールは、2009年にアルミンクと新日本フィルがマーラーの「千人の交響曲」を演奏した時に歌っていたのを聴いたことがあるが、舞台は今日初めて観た。
 オペラグラスで観ると、終始視線が定まらず、常に夢の中に浸っていて心ここに在らず、といった顔の演技がエルザにふさわしく、すこぶる巧い人だと思ったが、しかし歌い方があまりにビンビンと芯が強すぎて、ちっとも「夢見る姫」に聞こえないというのが疑問であろう。

 一方、オルトルートを歌ったぺトラ・ラングは、ワーグナー歌いとして定評のある存在で、今回は極度に意地悪そうなメークで役柄を強調、その睨みつける目ヂカラの演技の凄さも見事であり、歌唱の面でも大詰の大見得を完璧に歌って、前回上演の際の歌手とは比較にならぬ存在感を示していた。

 で、最後になったが、飯守泰次郎の指揮。どちらかというと遅めのテンポだが、ワーグナーのオペラの良き伝統の雰囲気を豊かに感じさせる指揮で、これは一家言ある解釈である。オケをかなり豪快に鳴らしていたが、ワーグナーの音楽の場合はこのくらいオケが雄弁でないとドラマが成立しない。
 ただし東京フィルは、よく鳴ってはいたものの、演奏のニュアンスや音楽の息づきにおいては如何にも粗っぽくおざなりで、到底これがプロのオペラ・オーケストラとは思えないところが随所にある。指揮者のせいにして逃げられる問題ではあるまい。

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