2017-09

2016・4・10(日)東京・春・音楽祭「ジークフリート」

     東京文化会館大ホール  3時

 「東京春祭ワーグナー・シリーズ」の第7回、「ニーベルングの指環」第2夜「ジークフリート」。
 昨年に続き、マレク・ヤノフスキ指揮のNHK交響楽団がステージ上に並び、背景の巨大なスクリーンには田尾下哲による動画の映像が投映される。歌手たちは原則としてステージ前面で、譜面を見ながら歌う。

 ヤノフスキの速めのテンポによるたたみかけの良さ、ライナー・キュッヒルを今年もコンサートマスターに迎えたN響の厚み。これがまず、今回の「ジークフリート」の成功の最大の功績である。
 特に第1幕の終り近く、ジークフリートの鍛冶の場面における演奏の昂揚は、2人のテノールの輝かしく張りのある声とともに、実に見事なものだった。

 ただ、第2幕に入ると、オケの演奏は少し淡々となり、また第3幕では音量、重量感、エネルギー感などが、いずれも何故かやや弱められて行ったような印象がある━━というより、第1幕の幕切れを上回るようなクライマックスが、その後の演奏では惜しくも築かれなかった、といった方が正しいだろうか。ヤノフスキもN響も、何か第1幕の最後で燃焼し切ってしまったような感があったのである。
 第2幕の「森のささやき」は、それは実に美しかったのだが、ジークフリートと大蛇との戦いの場面や、特に第3幕の「ブリュンヒルデの目覚めの場」の冒頭場面のクレッシェンドなどは、もう少し熱っぽく劇的にやってもらいたかったところだ。

 とはいえ、N響の量感はやはりさすがのものがあり、この楽団が本気で演奏すればかくの如し、といった出来だったことは疑いない。
 また舞台前面に出て吹いた福川伸陽(N響首席)の「ジークフリートの角笛」は、ここまでやるか、と思えたほど見事なものだった。ただし、これも前面で叩いた打楽器奏者による鍛冶の効果音は、リズムが前のめりになることが多く、何よりノートゥングが「出来上がって行く」変化というものが打撃音に反映されることなく、ただ機械的に叩かれていたことが残念だった。

 歌手陣。実力派の歌い手が揃っていて、これも今回の演奏を成功させた因といえるだろう。
 まずジークフリート役のアンドレアス・シャーガー。実に伸びのいい、若々しく力強い声だ。鍛冶の場面では鉄梃を打つ身振りも華やかに、躍動的な演技も交えて、「若き」ジークフリートの性格を完璧に表現した。
 3年前にチョン・ミョンフン指揮東京フィルの演奏会形式全曲上演でトリスタンを歌った時には、ちょっと線が細めかな、という感はあったものの、純な性格の青年トリスタンというイメージで成功していたし、昨年のバッティストーニ指揮の「第9」では、オペラのような身振りを交えつつ、進軍の先頭に立つ若きリーダーという感で颯爽と歌っていたのを思い出す。今回はまさに実力全開、という趣であろう。この若きヘルデン・テノールは、これからさらに大活躍するだろうと思う。

 ミーメを歌ったゲルハルト・シーゲルは、この役柄にしては声が並外れて力強い。「英雄的」過ぎて、狡猾なミーメというイメージには少し不足するけれども、兄にも劣らぬ野心を秘めた強靭な性格のミーメという解釈が、ここでは成り立つだろう。
 またアルベリヒ役のトマシュ・コニェチュニーは、まさに当たり役の人だ。この第2幕では「ラインの黄金」でのアルベリヒのように大暴れする役柄ではないから、少し控えめではあったけれども、迫力は相変わらず充分である。

 さすらい人ヴォータンのエギルス・シリンス、大蛇ファーフナーのシム・インスンは、昨年の「ヴァルキューレ」に続いての登場で、後者は「洞窟の中から響く」声をステージの奥でメガフォン(?)を使って歌っていた。
 智の女神エルダは、今年はヴィープケ・レームクールだったが、これは一昨年の「ラインの黄金」でこの役を歌ったエリーザベト・クールマンに比べると少々軽く、ヴォータン相手の丁々発止の場面では、運命の女神たちを統率する女神としての深みと凄みをもっと出してもらいたかったところだ。
 そして、森の小鳥は清水理恵。客席後方最上階から響かせた声はよく通ったが、ちょっと力がこもり過ぎて、小鳥らしい軽快さに不足した感もあったか?

 最大の問題は、今年のブリュンヒルデ役に登場したエリカ・スンネガルドである。これほどクールで、人形のように変化のない、単調な歌い方をするブリュンヒルデを聴いたのは初めてだ。
 未だずっと夢に浸っているような、と言えば聞こえはいいが、要するに目覚めた時から最後まで、ただ同じように、単調に、小綺麗に歌い続けるのみなのである。
 本来ここでのブリュンヒルデは、蘇生した歓びから戸惑いへ、不安感へ、ジークフリートによって呼び覚まされた愛の情熱へ、といったように感情が激しく変化するはずなのだが、それが一向に表現されないのだ。
 これは、いかなる解釈の角度から見ても、ブリュンヒルデではない。声楽的にも、高音の声だけは実に美しいのだが、低音域はほとんど聞こえない。

 このソプラノは、10年ほど前にMETに鳴り物入りでデビューしたレオノーレ役の時から私は何度か聴いているのだが、未だに進歩が全くないのには驚く。2009年にウィーン国立歌劇場でマクベス夫人(ヴェルディの方)を聴いた時も、この役らしい激しさも怒りも絶望感も、すべて区別なく同じような調子で綺麗に歌うだけだったのに啞然としたほどだ(観客からもブーイングや叱声が出ていた)。
 ゆえに、今回のブリュンヒルデも、こうなるのは充分予想できたことである。こんな歌い方では、まして「神々の黄昏」のブリュンヒルデなど、とても務まらない。来年は違うソプラノに来てもらうべきだろう。

 結論から言えば、今回の「ジークフリート」は、そのブリュンヒルデ以外は、全ていい。訳詞も、昨年よりバランスが取れていたと思う。
 30分の休憩2回を挟み、計5時間の上演で、8時終演。

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