2017-05

2016・3・13(日)高関健指揮京都市交響楽団

    京都コンサートホール  2時半

 マーラーの交響曲第6番「悲劇的」が演奏された。
 京都市響(ゲスト・コンサートマスターは荒井英治)の演奏が素晴らしい。今やわが国のオーケストラの中でも、上位の五指グループに入る水準であろう(細かい順位付けは避ける)。

 常任首席客演指揮者・高関健の制御が鮮やかだったことはもちろんだが、オーケストラの力量も驚異的である。
 ホルン・セクションは相変わらずパンチの利いたパワーだし、トランペット・セクションも輝かしく強力だ。その他の管セクションも充実している。弦の内声部の明晰なしなやかさも見事で、これがマーラーの複雑なオーケストレーションを明晰に交錯させ、音楽をいっそう劇的なものとする基となっていただろう。

 高関健は、全曲を速めのテンポで進め(演奏時間は80分を少し割り込んだ)、しかも鋭く攻撃的に構築して行った。たとえばハープのグリッサンドなどのさまざまな挿入句を鮮烈に浮かび上がらせ、衝撃的な音楽をつくる。
 それは荒々しい奔流のごとき演奏で、第1楽章における「イ長調からイ短調への転換」もことさらに強調されることなく行われたし、また第4楽章でも「英雄の悲劇的な闘争、苛烈な打撃」といったような標題的な要素に思いをめぐらす余裕など与えないといった、ひたすら音楽のエネルギーを求めた音楽づくりだったのである。

 この辺りは、聴き手により、好みを分けるだろう。私も、今日のようなタイプの演奏を聴くと、マーラーもちょっとやり過ぎではないか、何故そんなに怒号し続けるのだ、という疑問が頭をもたげ、もう少し感情の襞も欲しいな、と思わないでもない。
 とはいえ、「第6交響曲」の中にある恐るべきエネルジーコな要素を浮き彫りにする手法として、こういうスタイルが一つの考え方として成り立つことには、納得せざるを得まい。それに、これだけ熱っぽい演奏をする上手いオーケストラを西日本で聴けたことが、何よりうれしい。

 今回は、第2楽章にアンダンテを、第3楽章にスケルツォを置いた演奏だった。国際マーラー協会は、現在ではこの順序を公認の決定版としている。
 とはいっても私はやはり、スケルツォ楽章のあとに緩徐楽章を置くスタイルの方になじみがあるのだが、━━しかし今日の高関さんの、まさにアンダンテのテンポによる指揮を聴いて、なるほどと思わされたのは、この緩徐楽章を第2楽章として演奏した方が、マーラーのその指定のテンポが、感覚的にも納得できるような気がする、ということであった。
 つまり、この緩徐楽章を第3楽章に持って来ると、それまでに荒々しい楽章を2つも体験して来ているので、アンダンテよりも、沈潜したアダージョのテンポを気分的に求めたくなってしまうのではないかと。
 ━━もちろんこれは私の単なる個人的な、情緒的な気分の話だから、論理性はないだろうと思うが。

 以前の演奏会の時にも書いた記憶があるが、カーテンコールの時に、特に弦の女性楽員たちが客席に向けて自然に見せている笑顔が素晴らしい。いかにも力いっぱい、愉しんで演奏したという表情である。こういう雰囲気を持つオーケストラは、日本では、京響だけである。

 それにしてもこの数年来、京都市響の演奏は、本当に良い状態に在る。今年に入って聴いたものだけでも、ロームシアター京都での「フィデリオ」しかり、びわ湖ホールでの「さまよえるオランダ人」しかり。
 こうなると、大いなる功績のあるシェフの広上淳一(常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザー)が振った1月24日の定期を都合で聴きに行けなかったのが悔やまれるが、また聴く機会もあるだろう。その他にも、秋の「トゥーランガリラ交響曲」(高関指揮)、シュトックハウゼンの「グルッペン」(広上、高関、下野指揮)など、聴きたいプログラムが揃っている。

 終演は4時。引き続きホワイエでは楽員と聴衆との交流レセプションが行なわれるようだったが、私はそのまま失礼した。17:05の新幹線に乗る。
     別稿 モーストリー・クラシック6月号 公演Reviews

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