2017-04

2016・3・5(土)びわ湖ホールの「さまよえるオランダ人」初日

     びわ湖ホール  2時

 ト書きに基づいたストレートな演出の舞台に、最新のプロジェクション・マッピングによる大規模な3D映像を加味して、極めて解りやすく、しかも視覚的なスリルと面白さをつくり出す━━それが今回のびわ湖ホール制作によるワーグナーの「さまよえるオランダ人」の舞台だった。
 演出は老練ミヒャエル・ハンぺ、装置と衣装はヘニング・フォン・ギールケ、映像(プロジェクション)はヒビノ、映像製作と操作はCOSMICLAB。

 この映像はすこぶる精巧に出来ていて、逆巻く波濤だけでなく、ノルウェー船に激突せんばかりに接近し、揺れ動き、あるいは遠ざかり、沈没するといった、怪獣のごとき威圧感を与える巨大なオランダ船を、実に鮮やかに描き出す。
 しかもそれらが音楽にぴたりと合った動きをするために、特に第3幕でオランダ人水夫たちの合唱が炸裂するオカルト的なシーンでは、見事な視覚的スペクタクルをつくるのである。
 ドラマ全体を通じて背景のスクリーンの一部には、打ち寄せる波がずっと見えており、それはこの曲が「スコアのすべての頁から潮風が吹きつけて来る」と評された「海の雰囲気」を如実に描く点でも、意味があるだろう。

 この海の映像は━━演出家の佐藤美晴さんを通じてギールケから聞いたところによれば━━ノルウェーではなく、ポルトガルで撮影されたものだという。しかし、プロジェクション・マッピング全体は、日本側が製作したものだそうだ。こういうものを作ったり、音楽とタイミングを合わせて操作したりするテクニックは、あちらの歌劇場のスタッフより、日本人の方がはるかに器用で上手いのだそうである。

 この映像の活用によって、先頃の東京二期会の「魔笛」と同様、舞台転換も瞬時に行なわれる。便利な時代になったものである。どこまでが舞台装置で、どこからが映像なのか判別しがたいくらいに巧く出来ている。
 これにより、今回の舞台は予想を上回る出来となった。これまでのハンぺやギールケの舞台のイメージとは、かなり趣を異にする。芝居が細かいのはハンぺの昔からの流儀で、従って登場人物の動きは写実的だが、舞台全体に視覚的なスペクタクル性が加わったので、また一味違ったものが出る。

 敢えて呈したい疑問は二つ。まず、ドラマ全体を通じて、舵手を舞台中央に寝転ばせ、夢を見ているような身振りをさせる。これはもう、第1幕から手の内が見え見えになっているのだが、結果としてもこれはいかにも木に竹を接いだようなものになり、策に溺れたという感を拭えない。
 「オランダ人」の演出の中には、全てをゼンタの幻想として描く手法がしばしば見られるけれども、その場合には、ゼンタも登場人物もすべて真剣に生きて苦悩し破滅して行く模様が描かれている。だが今回のは━━あのひたむきに苦悩していたオランダ人とゼンタは、いったい何だったのか、というすっぽらかしのようなものがラストシーンには感じられてしまうのである。

 そもそも、スパイスのつもりで変な読み替え解釈を取って付けたように入れるのは、ハンぺらしくもない。やはり彼は彼なりのスタイルで、明快なストレート路線で、自らの道を貫いてもらいたいものである。
 もう一つ、今日は大詰場面で、ゼンタが飛び込む前にオランダ船が沈没しはじめていたが、これでは辻褄が合わない。もしかしたら手違いだったのか。

 だがいずれにせよ、こういったプロジェクション・マッピングによる映像の活用は、舞台芸術にさまざまな新しい可能性をもたらすだろう。舞台をややこしく読み替えて新規性を出したりスキャンダルを狙ったりするのも、それはそれで一法だが、トラディショナルなスタイルでもまだいろいろなことができる、ということを、今回のプロダクションは証明したのであった。

 配役は、例によってダブルキャストである。初日の今日は強力だ。主役から脇役まで粒のそろった顔ぶれで、歌唱も聴きごたえ充分である。
 題名役は青山貴。びわ湖ホールでのワーグナーは、ヴォータン(2013年)に次いで二つ目になる。今回はさらに声が素晴らしく伸びて、比較的若々しい感じの、厭世的というよりはひたむきな性格を備えたオランダ人船長役をつくり出していた。ただし・・・・メイクにはちょっと疑問がある。

 ゼンタは橋爪ゆか。飯森=山響の演奏会形式上演の時に次いで二度目のゼンタである。ワーグナー歌唱としてはどちらかというとまろやかな声の、温かみのあるゼンタ表現だろう。よくある「憑り付かれたような」狂女的なゼンタとは全く異なった表現で、このトラディショナルな演出の舞台にはぴったり合っている。
 第2幕ではこの2人がハンぺの演出に従い、ほとんど客席を向かずに互いに見合ったまま歌い続けるという場面があるが、それでも声が客席によく届いていたのは立派であった。これなら演劇的な表現も可能になる。

 ダーラントの妻屋秀和は、貫録充分の押し出しと、温かみのある演技と、底力ある歌唱とでドラマを引き締めた。彼と並ぶと、青山のオランダ人が従順な息子のように見えてしまうのが何とも可笑しかったが、致し方なかろう。
 狩人エリックには福井敬、乳母マリーには小山由美、という、この日は実にぜいたくなキャスティングだった。こういう味のあるベテランがしっかりと脇を固めていると、演技的にも音楽的にも上演が引き締まるものである。
 なお舵手役を歌った清水徹太郎は、歌唱の出番は短かったが、第3幕で若々しい声を聴かせて爽快だった。

 指揮は、芸術監督・沼尻竜典。京都市交響楽団を指揮して、極めて密度の濃いワーグナーを聴かせてくれた。
 ドイツのリューベック歌劇場の音楽総監督を兼任するようになってから、彼の指揮にはスケール感と、良い意味での安定感が増してきたように思われる。今回の「さまよえるオランダ人」でも、いいテンポを採っているな、と思う。序曲の冒頭ではもう少しデモーニッシュな強靭さがあってもいいかなと感じたが、第3幕では見事な劇的昂揚感をつくり出していた。
 ただ、これは事前に判っていたことでもあったが、第2幕と第3幕での合計3つのカットは━━伝統的なカット個所とはいえ━━私はやはり賛意を表しかねる。

 京響も充実した演奏を聴かせてくれた。

 水夫たちや娘たちの合唱には、二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部が出演、三澤洋史が指揮した。こういう合唱団が一つの舞台に乗るなどというのは、びわ湖ホールならではの豪華さだろう。
 第3幕のオランダ船水夫の合唱をも、よくあるようなPA再生でお茶を濁すことなく、ナマで歌わせるという豪華な形が採られていた。これは、沼尻芸術監督の自慢の種である。 
 ただ今日の合唱は、弱音の個所をはじめ、アンバランスな個所がいくつか聴かれたのは事実だったろう。それに女声合唱が「背景」のオランダ船の方を向いて歌う際に、声があまり響かず、バランスが弱くなっていたことには問題が残った。

 全3幕連続上演で、終演はほぼ4時半。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2377-8e454b3a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」