2017-07

2016・3・4(金)広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団

    サントリーホール  7時

 シューベルトの「未完成」とベートーヴェンの「運命」━━この2大名曲の間に、これが世界初演にもなる尾高惇忠の「ピアノ協奏曲」が挟まれるという珍しいプログラミングとなった。
 この新作は、2006年を最後に途絶えていた新作委嘱シリーズ「日本フィルシリーズ」の10年ぶりの作品(第41作)でもある。

 プレトークでの広上淳一の話によれば、今回の定期のプログラミングには、「現代音楽の初演の際には、たいてい同時代の現代作品とか、『そういう傾向の』曲を集めてプログラムが組まれることが多い、だが『そういう曲』ばかりやると、『そういうお客さん』しか聴きに来ない、だからお客さんの層が拡がらない、今回のようなプログラムでやれば、これまで名曲しか聴いて来なかったお客さんにも現代音楽を聴いてもらえるいい機会になるだろう」という狙いがあるという。

 良いアイディアである。今日は平日だが、昔の日本フィルの平日定期とは比較にならぬほど客の入りがよかったので、今回の狙いも充分に生きたと思われる。とはいえ、尾高の作品のあとの休憩の間に、客席にいくらか隙間が増えたようにも見え、━━もしかしたら『そういうお客さん』は、「《運命》など今更」などと言って帰ってしまったのかもしれない・・・・。

 広上が最初に指揮したシューベルトの「未完成交響曲」は、堂々たる演奏であった。16型編成による分厚い響きだが、もちろんそこにはロマン的な感傷性などはさらさらなく、ダイナミックなアクセントを駆使して厳然と構築された演奏だったのである。
 引き締まった演奏を繰り広げた日本フィル(コンサートマスターは木野雅之)も見事だった。

 またベートーヴェンの「第5交響曲」も同様に正面切った剛直な演奏で、重厚だが胸のすくような推進性に満ちあふれていた。今どき、こういう英雄的なスタイルのベートーヴェンは、むしろ新鮮に感じられて好ましい。

 第3楽章の後半は非常に暗い音色で演奏され、それが第4楽章に入るや、一気に開放的な明るい音色へ変わる広上の「持って行き方の巧さ」には舌を巻かされた。もちろん原曲にはそのような性格があるのだけれど、現代の指揮者たちは往年の巨匠と違い、ブリッジ・パッセージをあっさりと通過し、第3楽章も第4楽章もアレグロに変わりはないじゃないか━━と言わんばかりの演奏を行なう人が多いのである。今日は久しぶりに、しかもこれ見よがしの小細工など一切ないストレートな演奏で、この2つの楽章における暗と明、陰鬱と輝かしさの対比に浸ることができたのだった。
 この第4楽章に、もう一つアンサンブルの緻密さが加われば文句のないところだったが━━しかし音楽のエネルギー感は立派なものだったので、善しとしよう。その方がはるかに重要だからだ。

 この名曲2作に聞かれた広上淳一の指揮は、緊迫度も極めて高く、オーケストラを完璧に掌握していることの証しである強靭な音楽にあふれていた。私の主観だが、彼はこの世代における最もノリのいい指揮者の一人ではないかと思う。

 尾高のピアノ協奏曲は、演奏時間も32分近くにわたる大作である。ソリストは野田清隆。そのピアノのパートには、やはり尾高がかつてパリ音楽院で学んだものが色濃く刻まれているように思われる。ドビュッシーやメシアンの作品の遠いエコーが、その音楽の中に美しく残っており、また部分的には、矢代秋雄の音楽を思い出させるところもある。
 一つの音型を反復しつつ押して行くあたりはメシアンのそれを連想させるが、オーケストラの色合いの方はむしろ暗く重く(この辺りは演奏によるのかもしれない)、しかも激烈な力にも富んでいる。近々、ご舎弟の尾高忠明も札響を指揮してこの曲を演奏するので、それも併せて聴くと、また異なった側面が浮かび上がって来るかもしれないが━━。
    別稿 音楽の友5月号 Concert Reviews

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