2017-11

2016・2・26(金)チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団

       サントリーホール  7時

 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」とマーラーの「交響曲第5番」がプログラムに組まれていたが、チョンみずから弾くはずの協奏曲は、またもや彼の「指の故障」とかで、今回もお預けとなった。

 代役として若い小林愛美が出演したが━━モーツァルトの協奏曲などを弾くのは、もっと将来のことにしておいた方がいいだろう。ましてわざわざアンコール(ショパンのノクターン)まで弾くことはない。

 結局、聴きものは、マーラーの「第5交響曲」のみになった。だがこれは、予想をはるかに上回る快演である。
 チョン・ミョンフンは東京フィルを完璧に制御し、全曲に大きな起伏を施しつつ、過度に音楽を絶叫させることなく、均衡を保った響きで構築して行った。烈しいが美しい演奏となっていたのはそのためだろう。第1楽章の頂点たる悲嘆のfffでさえ、混濁することの全くない、瑞々しい響きにあふれていたのである。
 そして、全5楽章を通じての「暗」から「明」への移行が、この日の演奏では、見事に形づくられていた。
 トランペットとホルンの活躍をも讃えたい。コンサートマスターは三浦章宏。

 それにしてもチョン・ミョンフン━━さほど大きな身振りもせず、それでいてオーケストラをかくも燃え立たせることのできる芸域に到達したのだろうか? ソウルで何があったにせよ、東京ではそれに関係なく、彼の人気はどうやら揺るがぬようである。

コメント

ソウルで何かあったのですか?

この種のブログでは、思わせぶりな書き方ではなく、なるべく正確な事実を伝えてほしいと思います。よろしくお願いします。

感想ですが

朝比奈さんとのベートーヴェン対談の頃から、ずっと楽しませていただいています。東条さんのブログですので、部外者がとやかいうことではありませんが、若い演奏家と聴衆をしっかり育てないと、クラシック音楽の未来はないと思います。ですから、一刀両断のごとき論評は、それが批評と言われてしまえばそれまでですが、本来の温かみを感じることができず残念です。どこも、業界というものは、若手には厳しいのだなという印象を持ちました。

東条さんに一票

チョンさんのソウルでのトラブルについては、ググれば簡単に出てくるので、気になる方は、ご自分で調べてみればいいのでは?
それから、このコンサートは私も行きましたが、東条さんの書き方は、とても穏やかで、配慮し過ぎるくらいだと思いました。演奏がまずい時には、聴衆もそれなりの反応を示さないと、むしろ若い演奏者の今後のためにならないのでは?

具体的に

>東条さんの書き方は、とても穏やかで、配慮し過ぎるくらい

というのは、とても、よくわかります。小生が言いたかったのは、拙い演奏であれば、どこが拙いのかを具体的に指摘して、建設的な、将来につながる批評をすることが、演奏家を育てることになるプロの批評家のあるべき姿であろう、ということです。江戸時代の大奥のような、どこが悪いか指摘せずに、悪かったことだけを仄めかすのは、どうかなあと感じた次第です。もっとも、プロの演奏家であれば、自分の演奏のどこが足りないかぐらいは、自分で判断すべし、と言われてしまえばそれまですが。

自分で考える力がなければ音楽家とはいえないでしょう

 いちいち、どこがどう不味かったのかを、ことこまかに指摘することを、こういう無料で閲覧できるブログに期待するのですか?それは、あまりに厚かましいだけでなく、批判された演奏家が自分で考えるべきことでしょう。それができない人は、消えていくしかありません。東条さんは、小林さんは、そういうことが考えられる人だと認識しているからこそ、指摘したのであって、どうしようもない人だと思えば、無視したに違いありません。
 「一音楽ファン」さんは、小林さんは、そういう力もないと考えていらっしゃるのかしらん
 自分の

プロフェッショナル

オペラシティにおける小林嬢の演奏について、私が感じたことを 東条さんはズバリ一言で的確に言ってくれました。
モーツァルトの後期ピアノ協奏曲は、どんなに達者であったとしても「若者」には無理なのです。
(身勝手な聴衆の立場から)極論すれば、内田やピレシュ等 極一部の異才以外弾いてはならないレパートリーなのですね。
彼女自身、そのことを自覚できていないように見えましたし、今回のプログラム前半は、やはり論評の外とする他ないと思います。

[マラ5について] 私は初日(オペラシティ)を聴きましたが、残念ながら私には東条さんとは別の印象しか持てませんでした。初日ということもあるのか、各奏者のテンション、出来にムラのある演奏に聞こえました。第3楽章あたりからやっとエンジンがかかってきたような感じで、それまでは小さな身振りの指揮そのままの音楽で、事実上のシェフだった頃の濃厚且つ緻密な音楽とは掛け離れたものでした。特にトランペット、ホルンの首席、アダージェット最後の弦楽器の最弱音はもっと頑張ってほしかった。ただ、これは1階7列目で聴いた印象で、響きの豊かな2階ステージ横の席だったらもっと違って聞こえたかもしれませんが。 順番が逆になってしまいましたが[モーツァルトについて] 私は今回、半分以上はチョンの弾き振りを楽しみにしていたので非常に残念でしたが、23番はモーツァルトのピアノ協奏曲の中では一番好きな曲なので、若い女性演奏家の可憐で清澄な演奏が聴ければ良しと思い席に着いたのでした。が・・・、やはりモーツァルトはそんなに甘いものではないということを私自身が痛感させられました(薄々気付いてはいましたが、やはり目の当たりにするとショックは大きい!)。若い演奏家の未熟さをこれでもかと暴くだけの残酷な結果になってしまいましたね。どうゆう経緯で小林が代役に選出されたかは知りませんが、選ぶ側もその程度の見識しかなかったということですね(逆にわかっていて彼女にやらせたのなら邪悪だ)。 小林は俯きかげんで自信が無さそうに登場しましたが、弾き始めると表情は一変、内田光子みたいな顔になった。然し、顔だけ一生懸命入れ込んでも内容が伴わなければしょうがない。オケがふんわりと羽毛のような質感で演奏していても、それを全く無視するかのようなピアノが打ち壊してしまう。ピアノだけが無造作に浮き上がり音が溶け合わないのだ。第1楽章カデンツァの後、オケが入ってくるあたりのタッチなんかいくらなんでも強すぎる!オケの音を全く聴けていない証拠だ。協奏曲は決してソリストが主役でオケが脇役などではないのだ。それと以前にも何処かで指摘されているのを読んだ記憶があるが、弾きながら虚空を仰ぎ自己陶酔するのはホントにやめた方がいい。まだ、そんな段階ではない。オケの音をしっかり聴いて合わせる努力を先ずしないと!これは縦の線が合ってる、合ってないとか低次元のことを言っているのではない。 これではモーツァルトはおろかショパンの協奏曲を弾いたとしても同じことだろうと思う。 アンコールは大方の予想通りショパンでしたが、ここで意表を突いてリストかアルカンでもやってれば大分面白かったと思う。 と、ここまで酷評しておいて言うのもなんなんですが、終演後のカーテンコールで中学生みたいな女の子が客席からの「ブラボー」の声に思わず微笑んでしまう初々しい姿を見て、殆ど許せてしまったのです。もしかして、こうゆうタイプは中年になって大化けするかもしれないし・・・、今はこれで充分かな・・・と。兎に角、貴女はクラシック音楽界の“宝”なのだから頑張ってほしい。

ありがとうございました

皆様のコメントを興味深く拝読しました。実際には聞いていないのですが、なんとなく演奏が髣髴とされてきて、東条さんの仰りたいことも、呑み込めた気がしてきました。願わくば、何年(何十年?)か後に、素晴らしいモーツアルトを弾いてくれていることを願いたいと思います。

ご指摘を受けましたので、ネット・ニュースを読みました。まったく見落としていたニュースでしたので、ありがとうございました。

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