2017-10

2016・2・18(木)ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン

     ミューザ川崎シンフォニーホール  7時

 ブルックナーの「交響曲第8番」。
 今日の演奏会は「ツィクルス」には含まれていないが、「第8回」の番外編とでもいうか。

 2階席の最前列では、この曲を聴くには近すぎてちょっと辛いかなという気もしていたが、音像がなまなましいわりには、金管が鋭く突出することのない、バランスの良い響きが保たれていたのに安心。
 いや、バランスだけではない。演奏も、もう少し荒っぽくガサガサしたものになるのではないかと覚悟していたのだが、予想を覆して、ずっと良かった。

 抑制気味に演奏された第1楽章では、第2主題の静寂な美しさが際立っていた。猛烈に突進するの愚を避けたテンポの第2楽章では、ややクレッシェンド気味に反復されて行く動機が、ちょうどいい重量感を出していた。後半の2つの楽章でも、その巨大さは充分に表出されていた。
 たった一つ、それまでの威容や荘厳さをフイにしてしまうのが、第4楽章のコーダの後半におけるテンポの加速━━。ここで音楽を一気に驀進させる指揮者は、かのフルトヴェングラーをはじめとして少なくないが、これをやられると、私は一気に白けてしまうのである。

 ともあれ、バレンボイムのブルックナーは、いわゆる宗教性はもちろん、その音楽自体が持つ高貴さや威厳といった要素にはあまりこだわらないタイプのものだろう。壮大な自然の威容を思わせるよりは、生々しく息づく人間のドラマといったもののように私には感じられるのだ。それゆえ、私の好みのブルックナーとは、少し違う。

 今日も終演後、聴衆の1人から彼に花束が捧げられた。例のごとく何本か抜き取ろうとした彼は、途中でそれを諦め、束ごと1人の女性楽員に贈呈してしまい、聴衆の笑いを誘った。
 それにしても、当今のバレンボイムの日本での人気は、たいしたものである。はるか昔、来日記者会見で、質問が低調なのに怒り出し、「おれはこんな場所にいることより、会場で練習を早く始めることの方が遥かに重要だ」と言い放って席を立ち、記者連中から総スカンを食らった頃とは大違いである。あの頃は、彼も血の気が多かった。今は別人の趣があるだろう。

コメント

ミューザの「ブル8」

2階正面、2CA6列中央で聴きました。 ミューザの中でも海外オケを聴く絶好のポジションです。
所詮はバレンボイムのブルックナーです。でもSKBをミューザで振る、その一点だけで聴きに行った次第です。彼のブル8は、こういうミューザのような音響抜群のホールでライブを聴いてナンボだと思います。

それにしても、SKBのホルン群の巧さに唖然としました。
スケルツォ楽章のトリオでは、ハース版だけかどうか分かりませんが、4台のホルン群が互いに呼びかけ合わせるようなアンサンブルを聴かせるのですが、それがまさにドンピシャにサマになっていたのです。こういう芸当を含めて、日本のオケでは到底太刀打ちできません。

一方でSKBの強靭な、ネガティブな面を含めて弦をはじめとする硬質な響きを、ミューザは等身大に表現していました。サントリーならばもっとソフトに丸めて聴き易く作り変えるでしょうが、ミューザはベルリンフィルを除くベルリンの諸オケの特質を真っ正直に曝け出すのでした。昨年聴いたヤノフスキー指揮ベルリン放送響の「ブル8」を、是非ともこのミューザで聴きたかった。サントリーホールでは完全に音響が団子状態に飽和してしまっていました。(1階14列中央にて)。ヤノフスキーはオケ全体をステージの後ろにいっぱいに下げて、何とか対応しようとしていましたが、お手上げ状態でしたから。

小さいことですが最も感動したのは、第3楽章のクライマックスで2回打ち鳴らされるシンバルの響き。決して飽和することなく、潰れることもなく、どこまでも伸びやかに広がる様は他では得られない体験でした。他のホールでは「バッシャ~ン グシャグシャ」ですから。また本当の静寂・無音から信じられない程強烈に立ちのぼるダイナミックレンジが広大で、SKBは本気になって目一杯に鳴らしていました。これが俺たちの本当の大音響なんだぞ、と実に気持ち良さそうでした。良い経験をしました。

結論。
先月聴いたスクロヴァチェフスキ指揮読響の2回の公演は、オケの側の問題(+一部の聴衆の問題)もあって完全に満足とは行きませんでした。それでも初日の芸劇公演は、スクロヴァチェフスキの巧妙な音楽作りが、今も沸々と私の胸に、心に、くすぶり続けるのです。それと比べると、見事なコントロールを駆使したバレンボイムは、読響を問題にならないくらい遥かに上回るSKBを振り、しかも会場がミューザ川崎シンフォニーホールという理想的なホールであっても、スクロヴァチェフスキの世界とは異質な、アーティフィシャルな細工を感じてしまうのでした。ミューザ川崎シンフォニーホールだから余計にそれを正直に暴き出した、といったら皮肉なことです。オペラを除くバレンボイムは、いつまで経ってもガキなのかなぁ、、、

バレンボイム

今回の来日公演については、概ね東条先生に同意で、付け加えることは
少ないですが、最終日の「第九」はよかったです。さすが世界のトップ指揮者です。オケがホールに馴染んだのも大きい。ゴジラの登場を思わせた2楽章、深々とした表現の3楽章前半はフルトヴェングラーでした。

東条先生に申し上げるのは正に釈迦に説法でありますが、ようやく日本でのバレンボイム人気が世界標準域に達したと言う事ではないのでしょうか。
かつて、多くの評論家センセイは不当な評価をし、それに一般も影響されていた。
この点、吉田秀和先生は当初より高い評価をされていて、流石です。

サントリーホールでの公演を聴きました。6番を聴いて、この調子なら後期の交響曲をどれか1つでも聴かねばと思い、当日券を早めにゲット!大いなる期待を胸に席に着きました。6番同様、強弱の縦幅が大きく、クライマックスはとんでもない大音量でしたが、コントロールが行き届いているため汚い絶叫音にならないのは流石と唸らされました(トランペットをかなり控えめに鳴らしていた)。そしてコメントにもありましたが、ホルン群の異様(威容)(偉容)なまでの上手さは只者ではないです!(終演後、盛大なブラボーがホルン奏者達に浴びせられた) ・・・ただ、私も第4楽章コーダでの加速には違和感を覚えました。確かにバレンボイムはフルヴェンを崇拝しているとのことでベルリン・フィルとの7番のCDでもアッチェレランドを多用していた(と思う)が、ホントに最後だけ音楽が軽くなってしまった感じがして少し残念でした。然し、全体的には大いに満足できるもので、バレンボイムの海外での高評価に今更ながら納得がいったのでした(蛇足ですが、私が自ら積極的にスタンディング・オベーションをしたのはこの日が初めてなのです)。まさに“歴史の目撃者”になれた幸運に感謝したいです。   [またしても“地獄の亡者”の声が・・・!]   毎回、毎回、こんなことを書くのも自分自身嫌な気がしますが、第2楽章中間部で1階後方の席から「グエェェ~、ヴエェェ~ ・・・(更にその後2回)」と大音量で奇声が発せられたのです。その醜さはダウスゴー/新日本フィルでのモノを遥かに凌ぐ。奏者達は隣どうし目を合わせ、顔をしかめて嫌悪感を露にする(この時、明らかにオケ全体の気が一瞬だが乱れた!)。トリオから主部に移る頃には奇声は治まったものの、もし続く第3楽章でも同じように繰り返されたら・・・!あの天国的なアダージョの最中に・・・! 幸い(と言うのも変だが)第2楽章終了直後、数人のスタッフ(もしかして客?)によって外へ連れ出され最悪の事態だけは避けられた(つっても十分最悪だが。邪魔された第2楽章は、もう二度と聴けないのだから)。神対応だろう。もしかしたら急病かもしれないが関係ない。たった1人のために出演者も含め全員が犠牲にならなければならない理由などどこにもないのだ。

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