2017-05

2016・2・15(月)ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン

      サントリーホール  7時

 ブルックナー・ツィクルス第6日。「交響曲第6番」と、彼の弾き振りによるモーツァルトの「ピアノ協奏曲第22番」の組み合わせ。

 モーツァルトは小編成だが、重心の低い、しっかりした低音の上に構築された陰翳の濃い音だ。第1楽章などは、それぞれの主題が闊達に躍動するというより、一つの大きなハーモニーの流れの中に主題群が滔々と流れて行く、といったイメージを感じさせる。
 ナマの演奏会でこういう「良き時代のドイツの響き」のモーツァルトを聴くのは本当に久しぶりのように思う。まだこういうモーツァルトが健在だったのだ、と、何か不思議な懐かしさを覚えたが、ただ全曲を聴いているうちに、やはりこういうスタイルからは今や自分の好みも離れてしまっているのかな、とつい考えてしまうのは、我ながら意外であった。

 バレンボイムのピアノも、そろそろ味と雰囲気で聴かせるという域に入ったような感があるけれど、しかしとにかく、連日連夜、こんな重量級プログラムをこなす彼の超人的なパワーは、今なお全く衰えていないようである。頭が下がる。

 ブルックナーの「6番」をわざわざ選んで聴きに行ったのは、この曲が彼の交響曲の中でも好きな部類に入るからだ。中期の作品の中では、著しく人間臭い雰囲気を感じさせるものだろう。
 バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンは、モーツァルトでの「旧き良き時代のドイツ的カラー」をある程度残しつつも、ここではすこぶる戦闘的で激烈な、轟くようなブルックナー像を描き出した。だがその反面、最弱音の美しさは極限まで追求する、といった傾向もあって、このデュナーミクの鋭い対比が、今回の演奏の最大の特徴といえるかもしれない。

 ブルックナーが終ったあと、最前列の1人の女性が花束をバレンボイムに捧げようとして、ホールのスタッフに阻止された。しばらくして彼女はもう一度それを試みたが、見るからにそのタイミングが悪い。駆け寄って来たスタッフにまたあわや・・・という瞬間、バレンボイムが振り向き、めでたく花束を受け取ったのだが、この時バレンボイムが、割って入ろうとするスタッフを「いいから、君はあっちへ行け」とばかり手で追い払ってしまったのには聴衆も爆笑。おそらく大部分の聴衆も「ま、いいじゃないの、折角だから渡させてやりなさいよ」と思いながら拍手を続けていたのではなかろうか。
 そのあとバレンボイムは、その花束から、長い手間をかけてやっと何本かの赤い花を引き抜き、女性楽員たちにも贈ってやっていた。

 スタッフを手で追い払ったのには大笑いだが、バレンボイムは、時々こういう無邪気な(?)ジェスチュアを見せることがある。
 いつだったか彼は、ベルリンのフィルハーモニーでのカーテンコールで、大拍手のうちにホールのスタッフから「公式に」大きな花束を渡された。彼はそれをかかえ、そこから何本かのバラを引き抜こうとするのだが、固く縛ってあるのでなかなか取れない。苦心惨憺しているバレンボイムに、見かねたコンマスが、「どれ、貸してごらんなさい」と手を伸ばすと、バレンボイムは「いいよォ、自分でやるから」とばかり、花束ごと反対側を向いてしまった。茶目っ気たっぷりである。そして、なお延々と花束相手に格闘を続けていた。しばらくしてやっと2、3本を引き抜いて女性楽員に手渡せた時には、聴衆からは安堵の笑いと、さらなる大拍手が盛り上がったのであった。

コメント

ブルックナー

今回の来日公演の中で、「5番」では、東条先生言われる最弱音の美しさの追求とともに、轟然とした響きの中での金管と弦のバランスの素晴らしさが印象的。ただブルックナーの音楽としては、フルトヴェングラー風でもクナッパーツブッシュ風でもない「なまくらよつ」の音楽に。万能型と言うほどの魅力はないし。モーツァルトの「K466」も今やステレオタイプなのか、なんか退屈。

私も6番をわざわざ選んで聴きに行きました(笑)。理由はブルックナーの交響曲の中では初期の1、2番を除けば極端に演奏頻度が少なく、海外オケの来日公演では今回のように全曲チクルスでもなければ聴ける機会は皆無に近いからです。数年前、サロネン/VPOでこの6番が告知されていたがキャンセルになってしまいました・・・まぁ、そのお陰でプレートルのまさかの来日が実現したわけだけれども・・・思えばサロネンも小澤の代役だった。・・・脱線してしまいましたが6番、人気も希薄なようでこの日も席はガラガラでもったいなかったです。前半の2つの楽章に比べて後半が内容的に劣るという意見もあるようですが、7番だって似たような作りだし、よく聴けば細かな仕掛けの宝庫だと気付くはず。アダージョの美しさは後期3大交響曲に次ぐ完成度、そしてなんといっても第1楽章のカッコ良さといったら!! ・・・きりがないのでこの日の演奏について・・・。前半のモーツァルト、バレンボイムが同じ22番をVPOと演奏したCD(WPH-L-K-2006/9)での乱暴な打鍵には閉口してしまいますが、この日の演奏は同一人物が演奏しているとは思えない程柔和なものでオーケストラのセピア色の音色も手伝い、確かに古い時代の響きといった感じがしていました。ブルックナーは強弱の縦幅を大きくつけていて壮観でした。ここでもオケの音色が大きくモノをいっていて第2楽章最後のただならぬ寂しげな表情・・・!、これ迄の人生を追憶しながら一人息を引き取るかのよう。暴れん坊将軍バレンボイムも遂に晩年の境地に到達したのかと思いました。  この日の聴衆についても一言。花束オバサンも含めどうもミーハー的なファンが多く、真剣に音楽を鑑賞するといった雰囲気に欠けていたのは残念。私の前の2人連れはモーツァルト第3楽章の始まる前にヒソヒソやりだしたかと思えば、演奏が始まると頭を前後に動かしノリ始めちゃったので後ろから肩を叩いて制止した(ホントなら頭を叩いてやりたかったけど)。モーツァルト第3楽章以外ではブルックナーも含め終始ダラダラ・・・映画「アマデウス」で使われて有名になった楽章だけれどアンタ達、高い金払ってソコだけ聴きに来たのかい?もったいないよ。花束オバサンもカーテンコールの間中、ずっと腕を大きく広げて猛アピール。隣が邪魔そうにしていてもお構いなし。楽しんでいるのはわかりますが周りに迷惑をかけてはいけませんよぉ。 花束贈呈をスタッフが制止しようとするのは初めて見る光景でしたが、しつこかったですね・・・挙げ句に出演者にシッシッと追いやられてるんですから全く役たたずというもの。そんなことするくらいなら演奏中、迷惑行為をする客を見つけてどうにかしろよと言いたいです。  余談ですが10年くらい前、ゲルギエフは目の前で花束を渡そうとする女性客を無視し続け最後まで受け取らないということがあった。膝の上に置いた花束の包装が演奏中に終始チリチリと雑音を発しし続け演奏と鑑賞を妨害し、結局本人もまともに音楽を聴いていないということに対する抗議の意味だったのか?

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