2017-05

2015・12・11(金)ミュンヘン日記(1)
ワレリー・ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

       ガスタイク フィルハーモニー  8時

 ミュンヘン・フィルの本拠地たるこのホールで、初めてゲルギエフとのコンビの演奏を聴く。プログラムは、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」、R・シュトラウスの「変容」、ショスタコーヴィチの「交響曲第15番」。

 ゲルギエフはこの就任シーズンの最初を9月17日の「復活」で飾ったあと、11月、12月、1月、3月、4月、6月━━と、各月数回ずつの定期(異なるプログラムもある)を指揮する。結構な回数だ(ちなみに彼以外の指揮者では、ビシュコフ、ポーガ、M・ホーネック、マンゼ、コープマン、ウルバンスキ、ヒメノ、ダウスゴー、ズナイダー、メータ、ハンニガン(!)、ノセダ、パーヴォ・ヤルヴィ、トリンクス、ナガノといった人たちの名が見える)。

 ゲルギエフの今シーズンのプログラミングは、ドイツやフランスの作品とともに、ロシアのレパートリーを必ず1曲含めるという方針を徹底しているようだ。例えば11月には、シェーンベルク(「映画の一場面のための伴奏音楽」)とワーグナー(「ヴァルキューレ」第1幕」)との間に、スクリャービンの「プロメテウス」を入れるといった具合であった。
 しかしこの選曲構成は、彼にとってもミュンヘン・フィルにとっても、双方の得意ワザを繰り出すことができるという点で、巧みな戦法かもしれない。

 ただ、先週に東京で聴いた演奏と同じく、ゲルギエフとしては未だオケに花を持たせているのか、それとも遠慮しているのか、オケを完全に自分のペースに引き込むということは、控えめにしているようである。
 たとえば今夜のショスタコーヴィチの演奏にしても、ドイツのオーケストラの個性の方が前面に出ているというのか、何か鬱陶しいほどに暗く、重々しい。リズムがどっしりと重く、引きずるような趣を呈している。そのため、曲が持つアイロニー性すら影を潜め、ひたすら重厚で暗鬱な、苦悩に呻くような雰囲気に満たされた演奏になっていたのだ。

 ここでは、マリインスキー管やロンドン響との演奏で描かれるものとは異なる、非常に重苦しいショスタコーヴィチ像が浮かび上がっていたと言ってもいい。ゲルギエフがドイツのオーケストラを通じてそういうイメージを強調しようと思っていたのなら、それはそれでいいだろう。
 ただ、彼の採るテンポの遅さ(演奏時間は約50分になった)が━━非常に念入りな指揮であることは事実だが━━その何とも重々しい音楽と相まって、演奏に緊迫感を失わせることもある。そこがふだんのゲルギエフとはだいぶ違い、どうも日頃の冴えが無いな、という印象も生まれて来るわけだ。
 その傾向は、第1部で演奏されたワーグナーとR・シュトラウスでも聴かれたのであった。

 やはり、先週の日本公演で感じたことと同様、彼とこのオケとの共同作業については、もう少し時間をかけて見守る必要があるだろう。
 歯に衣着せで言えば、ゲルギエフをマリインスキー芸術監督就任直後から聴き続けて来た自称「理解者」の立場からすると、彼とこのオケとの演奏はどうも何だか面白くないな、というのが率直な感想なのだが、━━彼には彼で他の意図があるのだろうから、勝手な即断はやめておく。

 10時15分終演。
 こちらでのオケのコンサートは、来日演奏会の時と違ってカーテンコールが短いので━━指揮者の出入りはせいぜい3回━━夜の遅い時間の際にはラクである。しかも今回は宿泊ホテルが隣接のヒルトン・シティだから、コートなしで往復できるという利点がある。ただし猛烈に冷える。

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