2017-07

2015・11・23(月)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

    ミューザ川崎シンフォニーホール  2時

 前日のサントリーホール定期と同じく、プログラム・テーマは、「生と死」。

 ステージ上に配置された100個の白いメトロノームの振り子が開場1分前に一斉にスタート、1時半に客席が開かれた時には既にホール内にはカチカチという音があふれている。これがプログラムの1曲目、リゲティの「ポエム・サンフォニック~100台のメトロノームのための」という作品だという。

 ただし本当の開演(2時)までは、そのまま座って音を聴いていろ、というわけでもないらしいので、適当にロビーをぶらつき、知人を見つけて雑談に耽る。
 それにしても、こういう振り子形式のメトロノームは、今はあまり見かけなくなった機械だが、よく100個も集めたものだと感心する━━。

 2時になると、東京響(コンサートマスターはグレブ・ニキティン)と指揮者ジョナサン・ノットが、静かにステージに入る。
 100台のメトロノームのうち、動き続けているのは、すでに半分以下かもしれない。様々なテンポでずれながら音を刻んでいるそれら「拍節器」が、時々偶然にも全部の音が合致してしまうことがあるのが面白い。

 だがそれよりもむしろ、一つ、また一つ、と順に動きが停止して行く様子が、まるで人間たちが順に生命を終って行くことの象徴のように思えて、その果敢無さ、寂しさに、慄然とさせられる。これがプログラム・テーマに盛られた「生と死」の最初の物語なのか! 
 最後まで残って、ゆっくりと「生」の鼓動を刻み続けていた1台も、ついに2時8分、静かに動きを止めた。

 そして、初めてここで、オーケストラが演奏を始める。曲は、バッハの「甘き死よ来たれ」(ストコフスキー編曲)である。まさに甘美そのものの編曲が、それまでの機械的なリズムに慣れた耳に、安息をもたらしてくれる。
 それが終ると、いつの間にかステージのピアノの前に滑り込んだエマニュエル・アックスが、すぐ続けてR・シュトラウスの「ブルレスケ」を弾き始めるのだった━━。

 休憩後には、ショスタコーヴィチの「交響曲第15番」が演奏された。ノットは、第2楽章でかなり遅めのテンポを採り、全曲を重厚で暗いイメージに構築した。東響もこれに応え、打ち沈んだ曲想を再現して行ったが、室内楽的な精緻な響きという点では、いつものノットとの演奏の時ほどの完璧さには不足していたかもしれない。

 だが、この交響曲の大詰、あたかもショスタコーヴィチがこの世への告別を予感したかのように書いた個所━━オーケストラが弱音で虚空の中に消えて行く謎めいた個所で、打楽器群に繰り返されるリズムは、まさしく今日の最初のメトロノーム群による不思議なリズムに呼応するものだった。
 「生と死」の物語は、こうして完結をみる。実に見事な選曲、というほかはない。

 終演後、不要となったメトロノーム100台を、中学校の吹奏楽部などで使ってもらうための「寄贈式」が、楽屋で行われた。出席した女子生徒は「代表」ということで、4人。
 ノットが手ずからメトロノームを贈呈、生徒代表が緊張気味ながら一所懸命に礼辞を述べるという、温かく微笑ましいセレモニーであった。

コメント

リゲティの「100台のメトロノーム・・・」、私は折角なので開場と同時に着席し、ほぼ(冒頭1分は開場前なので)全編を鑑賞しました。丁度ステージ全体が見渡せる席だったこともあるし・・・。写真撮影スマホ隊に時々視界を遮られましたが(注意はしませんでした。彼等、彼女等にとっては音楽ではなく雑音だったのでしょうし、一応“演奏中”なわけだから)、1台、1台止まっていくメトロノームを見つめながら私も同じ様に考えておりました。そして最後の1台が止まった後の人類の滅亡を思わせる(未来の予見?)沈黙・・・そんな中、鳴りだしたバッハ、凄かった。 (思えばこの沈黙時にバナナオヤジが入場して来なかったのは幸運でした。もしそうなっていたならば、一生忘れられないくらいのおぞましい光景だったに違いない) アックス登場、でも私は本編のリヒャルトより寧ろアンコールのブラームスに強く魅了されました。なんという哀愁・・・私は、これを聴きながら「シベールの日曜日」の湖畔のシーンを思い浮べてしまいました。ショスタコに関しても同感です。ただ東響の演奏からはノットの意思を汲み取ろうとする自発性が感じられたのでもうひといきといったところでしょう(以前、ノットがN響と演奏した同曲は楽員があまり共感していなかったのか、薄っぺらな演奏に終始、釈然としないまま終わってしまった)。

2回聴きましたが、

川崎の方が、あの静寂により迫力と凄味が加わっていたと思います。確かに最後のメトロノームが最後の人類のように見えました。その死の瞬間をリアル人類である私達が取り囲み、看取り、弔い、悼み、死者の記憶の断片が映し出された走馬灯をじっと眺めている。なんてシュールでメタな音楽劇(しかも参加型)。まだじわじわ来てます。これは名作。しかもこの日のソリストアンコールは、世界の終わりまであと6分と言われたらこれを聴くと個人的に心に決めていた曲。思わず動揺して涙をこぼしてしまいました。怖かった。

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