2017-03

2015・11・7(土)ピエタリ・インキネン指揮日本フィル

     サントリーホール  2時

 首席客演指揮者で、次期首席指揮者のインキネンが振る「シベリウス&マーラー」のシリーズの一環。前半にシベリウスの「歴史的情景第1番」と「組曲《ベルシャザールの饗宴》」、後半に「交響曲《大地の歌》」。

 シベリウスのこれらの作品が、ナマで聴ける機会は希少だ。
 《ベルシャザールの饗宴》は、あまりシベリウスらしからぬ東洋的な雰囲気をもった曲で、その中の「夜想曲」を先日フィンランド放送響がアンコールで演奏していたが、今日はその組曲(4曲)全部をナマで聴けたのが嬉しい。あの美しいフルートのソロも好演であった。

 ただし今日のインキネンが指揮したシベリウスは、隈取りの極めて明確な、鋭角的な響きが先行したアプローチというか。音色はやや刺激的で、あまり美しいものではなかった。
 彼がこれまで日本で披露したシベリウス作品の演奏の特徴は、陰翳を豊かに持ったものと、荒々しいエネルギー性を優先したものとに、極端に分かれるようである。その分岐点の基準が何処にあるのか、私には未だつかみきれぬところがある。

 「大地の歌」では、西村悟(テノール)と河野克典(バリトン)が歌った。
 この曲のテノール・ソロのパートは、生の演奏会では強い管弦楽に消されるところが多いため、歌手には非常に損な役回りなのだが、今日の西村の声は比較的よくオケを貫いて聞こえた方だろう。指揮者とオーケストラがきめ細かく配慮すれば、更によく聞こえるのではないかと思われるが━━しかしその責任はやはりマーラー自身にあるだろう。

 一方、普通はアルトが歌うパートを今日はバリトンが歌った。出演を予定していたアルト歌手が出産のため来日不可能になったからだという。
 河野の歌唱そのものは良かったけれども、バリトンの声の音色からして、たとえば全曲最後の「Ewig・・・・ewig…」の個所など、やはり管弦楽の音色と同化してしまい、聞こえにくくなるのではないかという気もする。
 いずれにせよ、ナマの演奏会は、マイクでバランスをとって録音されたレコードとは違う。それゆえ、歌手に責任を押しつけるのは酷というものである。

 インキネンは、叙情的な個所では日本フィル(コンサートマスター・千葉清加)を極めて巧みに美しく響かせたが、最強奏の個所では怒号させ過ぎたような感もある。若い指揮者ゆえに、マーラーの痛切な哀感も肯定的に捉え、闊達に音楽をつくったのかもしれないが、それだけでは必ずしも感動的なものにならぬところが、「大地の歌」の複雑なところだろう。
 日本フィルの演奏は、特に木管群の見事なソロに賛辞を贈りたい。

コメント

本来のプログラムを望みつつ

私も二日目を聴きました。(1階15列中央)
当初予定されていたフィンランドのソプラノ歌手、ヘレナ・ユントゥネンが出産の為に来日できなくなり、プログラムにも演奏者にもきわめて大きな変更がありました。したがってインキネンとオケの制作陣が想定した定期とは別物だったのではと私は捉え、ややテキトーな気分で聴きました。

まずシベリウスのソプラノ独唱付き交響詩「ルオンノタール」が、組曲「ベルシャザールの饗宴」に変更になりました。 またメインのマーラー「大地の歌」が、"テノールとアルト"版から"テノールとバリトン"版へと変更。きわめて残念な変更と言わざるを得ません。従いまして当初の私の期待と云うか意気込みが、水を差された感無きにしも非ず、というところでした。インキネンの意図は"テノール&(ソプラノが歌う)アルト版"にあったことは事実です。日本フィルとの演奏会では、ラザレフ同様に常に明確なプログラミング意図を持つインキネンですから、変更は彼自身がいちばん残念だったことでしょう。

インキネンは今回変更を余儀なくされたマーラーとシベリウスの作品を、いずれ所期の形で演奏するつもりであることを、アフタートークで表明していました。その実現の時を期待して待ちたいと思います。

それ以前に「大地の歌」は、人生の辛酸を舐め尽したマーラーが遂に到達した境地の大傑作です。きわめて非凡な才能に恵まれたインキネンですから、細部の響きの表現に聴くべきものが多くありましたが、まだ万全な演奏表現に至るには早いものがありましょう。他に例を取るならば、ベートーヴェン「第九」アダージョ楽章や「田園」終楽章のように。

唯一本来のプロであった「歴史的情景第1番」は「フィンランディア」と同じ時期の初期の作品で、シベリウスには珍しくスペイン風の響きも込めた面白い作品でした。「第2番」は今週金土日の「杉並・横浜・相模原の各定期」でも演奏されますから楽しみです。私は杉並定期で聴きました。杉並と云うホールの素直でミニミューザというべき音響の良さもあり、ソロチェロやフルートをはじめ実に素晴らしい響きを堪能しました。

マーラーは自作を指揮する時にその都度楽譜を変更していたようであるが、「大地の歌」完成後、彼が亡くなってそれが不可能となった。
大植/大フィル、および最近、飯森/センチュリで聞いた時テノール歌手は声量のある人物だったが1楽章冒頭の声がオケに消されて殆ど聞えてこなかった。
高関氏は以前にこのことを書いておられ、今後氏の「大地の歌」がどのように演奏されるか注目したい。ナマで聞くこの曲のオーケストレイションにはほれぼれしたがこの曲を聞くならいまのところ録音か。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2298-52d6fee8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」