2017-09

2015・11・3(火)トゥガン・ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団

     サントリーホール  2時

 今回はこのコンビを、それぞれ異なるホールで計3回聴いたことになる。だがホールの音響の違いもあるために、演奏もそのたびに違ったイメージで立ち現れるのが興味深い。
 今日は、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」(ソロはユリアンナ・アヴデーエワ)、ブラームスの「交響曲第1番」というプログラム。アンコールは、グリーグの「過ぎし春」と、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲だった。

 この3回とも、1曲目の序曲は、すべて慎重でクソ真面目な演奏になっていて、あまり面白くなかったのが、不思議千万である━━やはり、メインのシンフォニーでの演奏がいい。
 今日のブラームスでも、第1楽章序奏の冒頭、コントラバス群が、まさにスコア指定通りのpesante(重く)で、どっしりと響き出した。久しぶりにブラームスの交響曲を、こういう重く陰翳の濃い音で聴いたような気がする。北国の曇り空を連想させる演奏だ。しかし、全曲大詰の頂点はすこぶるエネルギー感に富んでいた。
 ソヒエフがドイツ音楽のレパートリーにおいてこのオーケストラから引き出す音はやはりこういうものなのだ、ということが、ここでまた確認できたわけである。

 このオケの弦はなかなかの活力を備えているが、それをさらに完璧に生かしたのが、アンコールでの「過ぎし春」だった。これまた北欧の鄙びた、しかし温かい雰囲気を感じさせる。
 「フィガロ」はこれで3回目。16型編成の弦を唸らせた演奏で、巨大な森林が揺らぐような猛烈なモーツァルトだったが、これはこれで一つのありようだろう。

 ソヒエフはこのオケを完全に掌握しているようだが、彼は2017年春で音楽監督を退任するという。後任はロビン・ティチアーティだそうだ。何とまあ、全く正反対の個性を備えた指揮者を迎えるものである。このオケの個性もガラリ異なって来るだろう。

 協奏曲では、アヴデーエワが毅然としたベートーヴェンを聴かせた。ソヒエフと彼女は、春のトゥールーズ・キャピトル国立管との来日公演でも協演していたから、気の合ったコンビなのだろう。彼女の凛然として瑞々しい演奏は、実に魅力的だ。この日、彼女がアンコールで弾いた「雨だれ」の前奏曲では、文字通り客席が息を止めて聴き入った感があった。

コメント

全く同感です!フィンガル、私の聴いた1階中央でも若干堅い印象でしたが、私、この曲を生で聴くのは久しぶりでしたのでそれでも楽しめました(笑)。コンチェルトでのコンマスの位置(ソリストの左隣、指揮者とソリストの間に入り込む形)変わってましたね、私初めて見ました(ソリストの希望?)。メインのブラ1はよかった!基本的にはオーソドックスだけど軽すぎず、かといって重すぎることもなく非常にバランスがいい。終楽章では情熱的に盛り上げてくれて模範的なんだけど柔和な質感で全体的に指揮者のセンスの良さを感じました。アンコールでのグリーグは嬉しかった・・・ついでだから脱線すると、ほとんど何時も似たような曲目ばかりというのもそろそろ何とかならないものでしょうかね・・・ドイツオケでシベリウスや英国音楽、フランスオケでマーラーというのもたまには聴いてみたい(今月、hr響がバーンスタインを演奏する!!)。フィガロ、昨今ではほとんど聴かれなくなった大編成でのモーツァルト!トルネードのようにうねりまくる弦楽器はやっぱこの人数でなきゃ!最高!!!

コンサート評が少したまって、一気に開示されましたね。楽しみにしている読者としては、毎日、1・2公演ずつ小出しにされた方がじっくり読めます。
ソヒエフ、聴く機会を逸し、初めて聴きました。もちろん悪い指揮者ではないのでしょうし、東條さんおすすめのようですが、今一つ、飛び抜けた個性や輝きは感じにくかったです。最近の若手優秀指揮者の特徴でしょうか。
オケは退任とのこと。カジモトつながりで、別のオケと聴く機会があればと思います。今秋は他の公演にあたりが多く、その点は割引いて評価します。

1階14列中央で聴きました。
私の前2列はほぼドイツ人用招待席。大使館関係者かも知れません。
真後ろの1階15列中央は評論家などの業界関係者招待席。
よく見知った信頼できる評論家氏方も居られて、休憩時に話が弾みました。

【ベートーヴェン】は、アヴデーエワの卓抜で明晰なピアニズムが、どこを押しても引いてもびくともしない堅固なもの。しかも美しい響きは比類なく、抒情性も豊かでした。同時にベートーヴェンのこの曲に相応しい深い響きと推進力に富む闊達なリズムとを持つものでした。

各楽章の表現の多彩さと描き分けは、凡庸なピアニストには求められないレヴェルです。第1楽章のカデンツァでは、余裕綽々且つスカッとするほどの闊達さ。これぞロマン派へ入る寸前のベートーヴェンの古典派様式もきちんと押さえていました。また第2楽章のたっぷりとした抒情美は滅多に聴かれない表現。アタッカで第3楽章へ移る瞬間的なテンポの設定と対比もお見事の一語です。

実際に私が聴いたアヴデーエワの協奏曲は、ショパン1番、ブラームス1番、ベートーヴェン3番など。アヴデーエワはベートーヴェンならば「第3」と「皇帝」、ブラームスでは「第1番」を好むタイプのピアニストと視ました。「第3番」では明晰で深い打鍵が美しく、抒情の深さがベートーヴェンのロマン派への移行期を示唆して見事でした。この作品の様式感をしっかりと押さえると同時に、瑞々しい新たな表現をも加える秀逸な表現力を持つ人です。

アンコールの「雨だれ」は、弾き始めがベートーヴェンの響きを残したままでしたが、すぐにショパンの世界が立ち現われるところは流石でした。

【ブラームス「交響曲第1番」】では、第3楽章までは所々で光り輝く歌心もありましたが、基本的には堅実でどっしりと安定したブラームス。内声と低弦の堅固さがそれを支えます。ところが第4楽章に入るや否や、まるで満を持していたかのように、ソヒエフは例の"スイッチ"を入れたのです。

その"スイッチ"によって、オケに光が射し込み、深い響きのままリズムが輝き出しました。聴き手の胸の奥にまでそのリズムが躍動し、自然に体が躍り出すのでした。しかしソヒエフのフレージングは呼吸が深く、響きが薄くならないので、ブラームスを聴く重みは尋常でないのです。素晴らしい表現力です。しかもオケは内声部と低弦が揺ぎ無いので、低重心のサウンドが音楽に安定感を与え続けていました。

この「第1番」は、ベートーヴェンの後を継ぐシンフォニストとして苦難の末に完成した音楽史上の意義を謳いあげる作品です。その一方でワーグナーがバイロイト祝祭劇場を開設した年に完成しています。ドイツの偉大なシンフォニストの系譜を受け継ぐブラームスにとって、ワーグナーに対抗する世俗的野心も隠せなかった筈です。そのブラームスの気高さと野心との両面を、ソヒエフは"スイッチ"で切り変えつつ見事に表現した、と云ったら褒め過ぎでしょうか。私はソヒエフの深謀遠慮に満ちた時代背景の解釈と、天晴れ見事な表現力に賛辞を贈りたいと思います。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2294-89e817be
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」