2017-09

2015・10・10(土)シベリウス生誕150年 ハンヌ・リントゥ指揮

      すみだトリフォニーホール  6時

 フィンランドの指揮者ハンヌ・リントゥが、新日本フィル及びフィンランド放送響を振って展開中の「シベリウス生誕150年記念 交響曲全曲連続演奏会」の第2回。
 交響詩「大洋の女神」、「交響曲第6番」「交響曲第1番」が演奏された。

 客の入りが思ったほどよくない。先頃のシティ・フィルのシベリウス定期の時といい、今日といい、シベリウスの音楽はそんなにファンが少ないのか? 私などはシベリウスの名を聞いただけで特別な感慨を受けるし、あの息の長い独特の音楽をたとえ数秒間でも聞いただけで、陶酔の境地に引き込まれてしまうほどなのに━━。

 ところで、ハンヌ・リントゥの指揮するシベリウスは、4年前の都響との演奏でも感じたとおり、剛直で豪快、凄まじい力感を備えたスタイルだ。ティンパニは重厚に轟き、金管群も壮烈に咆哮する。この骨太で率直なシベリウス表現は、レコードで聴く昔のロベルト・カヤヌスやシクステン・エールリンクのそれにも共通しているだろう。
 私はチマチマしたシベリウスよりも、こういう毅然たるシベリウス像の方を愛する。

 「第1交響曲」第1楽章などでは、リントゥのその豪壮な表現が存分に生きるだろう。
 また第2楽章の最後、あの愁いを含んだ主題(※)が静かに奏される個所で、ハープの刻む2分音符のリズムがこれほど明解に聞こえ、主題がある種の明確な意思を以って再現されているように感じられたのは、今回が初めてであった。

 ただし、第3・4楽章になると、演奏は過度に荒っぽくなる。フィナーレの中間あたりでは、猛烈にテンポが速められ、すべてが極度に狂暴化する。とはいえ、第2主題が堂々と情感豊かに奏されて結ばれる全曲大詰は、さすがリントゥ、持って行き方は万全だ。
 そうした一方で、たとえばクラリネットの最弱音の念入りな響かせ方など、見事な細やかさを聴かせるのもリントゥのセンスであろう。

 そしてまた、第1楽章最後の小節における弦のピッチカートとハープによる4分音符が、フォルテでありながら、不思議な長い余韻を引いて消えて行ったのは、意図的なものか、それとも偶然のものか? いずれにせよ、ここは極めて印象的であった。

 新日本フィル(コンサートマスターは崔文洙)は猛烈にダイナミックに鳴り響いた。が、その分、少し粗いところはある。━━そのなりふり構わぬ荒さと粗さがリントゥの意図的なものなのかどうかは、彼が首席指揮者を務めるフィンランド放送響とのシベリウス(11月2日)と聴き比べればはっきりするだろう。

※「もういくつ寝るとお正月」の旋律、あるいはディミトリ・ティオムキンの「GIANT」のテーマ(後半)にそっくりなので、聞くたびに可笑しくなる。

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