2017-11

2015・9・30(水)ベルナルド・ハイティンク指揮ロンドン交響楽団

      ミューザ川崎シンフォニーホール  7時

 マレイ・ペライアの弾くモーツァルトの「ピアノ協奏曲第24番」、そのあとに今夜はブルックナーの「交響曲第7番」(ノーヴァク版)。

 豊麗な音響のサントリーホールとは異なり、こちらのホールは響きがクリアーであるため、音の隈取りも一層明確になる。そうしたアコースティックが、演奏に反映することがしばしばある。

 今日のコンチェルトの演奏も、3日前に聴いた印象とはずいぶん異なるものだった。こちらは、明晰な音色、毅然たる佇まい、といった特徴の方が強く感じられる。残響の多いホールではテンポもゆっくり目になることがあるというから、今日の「24番」は、逆にホールの響きに対応して、テンポを少し速めたのだろうか、演奏時間も32分ほどに縮まっていた。だがいずれにしても、3日前のそれと同様、見事なモーツァルトだった。

 一方、ブルックナーの交響曲は、凄愴なほどの演奏だった。今のハイティンクにとって、マーラーよりは「まっすぐな」ブルックナーの音楽の方が、よりぴったり合うのではなかろうか? テンポも、第1楽章などかなり遅いものだったが、それでも正味67分ほどだったから、そう極端に長い演奏だったわけでもない。
 とにかく、ロンドン響の弦の音色の豊かな美しさは見事というほかはなく、それゆえに、久しぶりに濃密壮大なブルックナー・トーンを堪能することができた。

 ただし、唯一気になったのが、トランペットの(特に1番奏者の)異様に鋭く大きな強奏だ。もちろんハイティンクの意図によるものだったのだろうが、特に第1楽章など、しばしばアンサンブル全体の均衡を破る感があり、初めのうちは少々辟易させられた。
 ところが、第2楽章後半の頂点での、全管弦楽の恐るべき昂揚━━ここはクレッシェンドの段階からすでに異様な緊迫感にあふれていた━━は、そのトランペットの轟音をすら呑み込んでしまうほどに凄まじかったのである。

 スケルツォの頂点でも、第4楽章コーダでも同様だったが、それは単なる威嚇的な音響でも、冷徹清澄な昂揚でもない。まさに感情の奥底から湧き上って来るといったフォルティッシモであり、デモーニッシュな力にあふれていたのであった。テンポこそ違うが、先年ザルツブルクで彼がウィーン・フィルを指揮した同じブルックナーの「9番」の第2楽章の、キュッヒルをはじめとする奏者たちが憑かれたように没入して弾いていたあの演奏を、ふと思い出す。

 今回、ハイティンクのブルックナーの「7番」を聴けたのは、本当に幸せだったと思う。

コメント

3日に京都で聴きました。指揮者がまだ手を下ろさずひらひらさせているのに、聴衆はお構いなしにじゃんじゃん拍手してました。ラッパの音色は鋭く突出していて、アメリカのオケのようでしたが、真っ先に立たせて拍手を受けさせていたので、指揮者の注文に応えたのでしょう。今年はインキネン、ノットと7番ラッシュでしたが、来年は8番ですね。

京都で聞きました。86歳だそうですがなんと初々しい清らかな音,基本悠々としたテンポですが要所要所でのキレとパワー,依って全体通して一音たりとも緩みの無いピーンと張り詰めた緊張感と安心感。今の時代こんな指揮される方今後出てくるでしょうか。長期に渡り地道に努力してきた賜物ですね。至福のひと時でした。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/2262-4508df60
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」