2017-08

2015・9・29(火)オリヴァー・ナッセン指揮東京都交響楽団B

      サントリーホール  7時

 ナッセン自作の明るく鋭角的でダイナミックな「フローリッシュ・ウィズ・ファイアーワークス」で開始され、一転して重苦しいシェーンベルクの「映画の一場面への伴奏音楽」と移り、次いで豊麗無比な武満徹の「精霊の庭」が演奏されて、第1部を終る。実に巧い選曲配列だ。

 この中で━━私の好みによる結論もあるが━━何といっても卓越した熟成の美しさを備えていたのは、タケミツの作品である。彼が晩年に到達した耽美的な音色は、温かい法悦感を呼び起こす。
 以上3曲、ナッセンが都響から引き出した3種3様の音の流れに酔う。

 休憩を挟んで演奏されたのは、ピーター・ゼルキンをソリストに迎えての、ブラームスのピアノ協奏曲第2番だった。
 タケミツのあとにブラームス、というのは、これまた意味深い組み合わせで━━武満氏が1975年に「僕ね、この頃ブラームスが好きになっちゃって、危険なことだと思うけどしょうがない」と苦笑しながら語ってくれたのを思い出す━━大変面白い流れだ。しかし、これが、少々問題含み。

 ピーター・ゼルキンならではのミーントーン調律(今回は1/8とのこと)のピアノから生まれる透明で清澄な音色と変幻自在な音の流れは素晴らしく、このコンチェルトに、ふだん聴き慣れたものとは全く異なる様相をもたらしてくれた。それはいかにも、すぐ前に演奏された武満作品の世界を、そのまま引き継いだというイメージだった。
 だが皮肉にもそれとは逆に、ナッセンと都響のほうは、第1部から一転して、対照的なドイツ・ロマン派の重厚な響きに入ってしまった。この両者の性格の違いが、何とも形容しがたいアンバランスを生み出したのである。

 もしオーケストラが、ピーター・ゼルキンのピアノと同一歩調を採るのだったら、武満作品で聴かせたあの音を、そのままコンチェルトの演奏にも引き継がせていれば、遥かにすっきりしただろう。もしくは、ナッセンが第1部と第2部を対比させたかったのであれば、協演ピアニストの選定に問題があったことになる・・・・。
 それに、言っては何だが、ナッセンという人は、ピーターのような変幻自在の音楽をつくるソリストと協演するのにはちょっと向いていないのではないか、という気もするのである。

 都響(コンサートマスターは矢部達哉)は相変わらず落ち着きのあるいい音を聴かせてくれたが、唯一の疑問はホルン。1番ホルンは、たとえソロの際にもオーケストラにいつでも溶け込むような姿勢の美しい音だったが、3番ホルンだけは妙に鋭く突出して、アンサンブルから「かけ離れた」(?)ところで音楽しているような感があったのが気になった。これは、こちらの聴いた位置(2階正面)のせいではなかろうと思う。
     別稿 モーストリー・クラシック12月号 公演Reviews

コメント

ブラームス

ブラームスのあのピアノ、なるほど、そういうことでしたか。よく分かりました。音が独特なので、終演後、2階から1階に降りて、楽器を見に行きました。ものすごく古いスタインウェイでした。でも、それだけではなくて、調律法も一因だったのですね。勉強になりました。ピアノとオーケストラの音の違い、そして演奏スタイルの違いは、私もショックでした。そのショックを含めて、刺激的な演奏でした!

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