2017-10

2015・9・22(火)大植英次指揮東京フィルハーモニー交響楽団

      Bunkamuraオーチャードホール  3時

 ブラームスの交響曲「第3番」「第4番」というプログラム。特に「4番」が濃密で凄愴な演奏だった。

 各パートそれぞれに掛留の多い、驚くほど複雑に入り組んだこの「第4交響曲」の内声部を、大植は意図的に浮かび上がらせ、交錯させる。そのため、漫然と聞くと、縦の線が危ういほどずれて響くように感じられかもしれない。だが実はそれがブラームスの恐るべき大胆な管弦楽法に基づくものだということを認識して聴いていれば、この「第4交響曲」への賛嘆が、ますます強くなって来る。これは大変なシンフォニーだ━━と、改めて認識させられるのである。

 今回の演奏は、作品の破天荒なアイディアを強引に均衡の中に閉じ込めるのではなく、むしろそれを浮き彫りにしようという姿勢が表れたものともいえるだろう。特に第1楽章と第3楽章においてそれが際立つ。
 演奏も、第1楽章途中から極めて流動性に富むものになり、異様に熱を帯びて来た。特にその終結部は一種の熱狂、狂乱、法悦といった趣を呈していったが、オーケストラに乱れが感られなかったところからすると、これはかなり綿密に準備された演奏だったのではないか・・・・という気がした次第だ。ただしこれは、あくまでこちらの勝手な憶測だけれども。
 ともあれ、こういう指揮を聴くと、大植英次も新たな境地に入りはじめたのではないかという気がする。

 東京フィル(コンサートマスターは三浦章宏)も、この「4番」では壮絶な演奏を聴かせてくれた。
 前半に演奏された「3番」が凡庸な演奏だったというのでは、決してない。しかし、この「4番」のほうが、極めて強烈な印象を残したので・・・・。

 先週木曜日に、フェスティバルホールの舞台袖で会ったマエストロが「東京でのブラームスの4番のアタマに・・・・」とか何とか私に言っていたのが聞こえたが、別れ際だったこともあって、詳しく確認することができなかった。
 しかし、彼のことだから、もしかしたらブラームスが自筆譜の第1楽章のあとの余白に書き加えながら結局使用しなかったという、第1楽章冒頭に付加した3~4小節の導入部分━━シャイーが全集CD(デッカ)に付録として演奏して入れているアレである━━を復元して指揮するつもりなのかと、内心秘かに期待していたわけだが・・・・。残念ながら、通常の出版譜による演奏だった。
 もし予告なしにあの導入小節を入れて演奏が開始されたら、お客さんは腰を抜かすだろう。一度ナマで聴いてみたいものである。

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