2017-10

2015・9・12(土)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

      サントリーホール  6時

 マーラーの「交響曲第3番」。

 音楽監督の任期が2025/26シーズンまで延長されることが発表されたばかりのジョナサン・ノットの指揮。今日はその披露定期のような趣を呈したが、演奏もそれにふさわしい卓越したものになった。ノットと東響、また一つ「最高の」演奏をつくったと言えよう。
 コンサートマスターは大谷康子。協演は藤村実穂子(Ms)、東響コーラス、東京少年少女合唱隊。

 先頃の「9番」や「8番」と同じく、引き締まった、完全な均衡を備えた演奏である。緻密に練り上げられ、強固に構築された演奏であり、しかもその響きの明晰さゆえに、意志の強い、健康的なマーラー像といったものが描き出される。ノットのマーラーの、それが持ち味だろう。

 終楽章での、弦楽器群が織り成すふくらみのある、空間的な拡がりを感じさせる響きは、今日の演奏の中でも、とりわけ卓越したものであった。いわゆる情緒的な甘さではなく、澄み切った純な精神が歌う美しい陶酔の世界とでもいうか。
 トランペットやホルンの交錯の扱い方が、実に巧い。何度も起伏を繰り返しつつ、じわじわと頂点へ盛り上げていくその持って行き方にも、舌を巻いた。総力をあげた東響の演奏の充実ぶりも特筆すべきもので、聴いていてうれしくなったのは私だけではなかろう。

 藤村実穂子の深みのある、スケールの大きな歌唱はいつ聴いても素晴らしい。いつかも書いたが、近年の彼女の歌には、温かい情感がいっぱいにあふれるようになった。見事な存在感である。
 子供の合唱は正面2階席の上手寄り通路に配置されたが、これはあまり感心できない。そもそも客席にバンダなどを配置するのは多くの指揮者が好んでやるテだが、そうした音響でいい気持になれるのは、せいぜい指揮者自身と、ホールの1階の真ん中の席に座っている聴衆くらいなものである。その他の場所にいる聴衆にしてみれば、聴感上のバランスが崩れ、演奏に対する注意力を散漫にさせられるというマイナス点だけが残る。

 ノットは、ソロ・カーテンコールでも、聴衆から熱狂的な拍手と歓呼を贈られた。向こう10年間、これなら安泰か。
          ⇒別稿 モーストリー・クラシック12月号 公演Reviews

コメント

ミューザのLAブロックで聴きましたが、階上からの合唱は下までは、時差が結構あり、リハで補正はできなかったのかと、少し残念でした。

プラス面(2階席)

子供達の声の方に視点を切り替えた時、自分が完全に第5楽章の存在を忘れていたことに気づいた。それほど第4楽章の世界に夢中になっていた。彼らの姿が予め視界の中にあったなら、いつものように「次の展開」を身構えていたはず。新しい本のページをめくった時のようなあの感覚は、得られなかったに違いない。

音響効果を狙ったというより、描かれた事象に対する作曲家の心理的な距離感を、物理的/視覚的に置き換えたものとして受信しました。そうした姿勢は他の楽章でも随所で見受けられたし、基調として最終楽章まで通っていたと思います。響きの時差は多分それほど恐れてない。可能ならもっと遠くへ置きたかったくらいでは。

もうひとつ。マーラーという人に対して憐憫の情を覚えたのも今回が初めてでした。夜を手なづけ光を遠ざける。引き寄せたかと思えば手の中で潰す。そうせずにはいられない人がこの世の幸せを得られるはずがない。このコンビの6番、7番、歌曲集を早く聴いてみたい。そしていつかまた9番を。

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