2017-10

2015・8・20(木)ザルツブルク篇(完)「ばらの騎士」

      ザルツブルク祝祭大劇場  6時

 昨年プレミエされ、大方の好評を得たハリー・クプファー演出プロダクションの再演で、今年は4回公演、今夜が初日。ご本人もカーテンコールに出て来た。さすがにブーイングは一つも飛ばない。

 主な配役は以下の通り━━元帥夫人をクラッシミラ・ストヤノーヴァ、オクタヴィアンをソフィー・コッシュ、オックス男爵をギュンター・グロイスベック、ゾフィーをゴルダ・シュルツ、ファーニナルをアドリアン・エレート。そしてフランツ・ウェルザー=メスト指揮ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団。

 何より、この劇場の広大なピットからあふれ出るR・シュトラウスの壮麗な音楽に酔わされる。やはり来てよかった、としみじみ思うのは、こういう瞬間である。ウェルザー=メストがウィーン・フィルから引き出す音は今夜も密度が濃い。
 聴いた席は1階9列11で、この席で聴く音にしては、管の音がちょっと硬質に聞こえたが、弦の豊麗な音色はやはり比類ないものだ。大詰めの3重唱や2重唱の個所など、まさに法悦の極みといったところである。「フィデリオ」といい、この「ばらの騎士」といい、ウェルザー=メストの最近の好調ぶりは目覚ましい。

 歌手陣も手堅い出来で、粒がそろっている。前述の主役陣5人のうち、4人は昨年に続く出演とあって慣れたものだが、ゾフィー役のシュルツは初顔で、少し緊張していたのか、第2幕最初のオクタヴィアンとの対話の個所では、2か所ほど「落っこちた」ような気がしたのだが━━ただしこちらも、そう言い切れるほどの自信はないが・・・・。

 クプファーの演出は、ストレート系の重厚な風格を持ったものだ。
 そしてこの演出は、ハンス・シェヴァーノッホの、これも重厚な、非常に気品のある舞台装置によって、さらに盛り上げられる。回転舞台で移動する装置の中には、元帥夫人の寝室のドアを象徴する大きな門のようなものがあって・・・・しかし、これが出ていた時、ドアの「向こう側」にあるベッドや、そこで身づくろいをするオクタヴィアンの姿は、反対側の上手側前方客席からは見えたであろうか? 

 また、この舞台ではトーマス・ライマーのビデオデザインが威力を発揮していた。広い舞台の後方壁面いっぱいを飾る鮮明な画像━━建物、緑の公園、霧に包まれた公演の風景などが、実に妙なる奮起を醸し出す。これらは鮮明に過ぎて、時に登場人物の姿を引き立たせなくしてしまうという欠点はあるが、とにかく豪華絢爛たるものであった。

 演技の設定は、クプファーらしく徹底している。音楽の動きにきっかけを合わせた、━━音楽を破壊せず邪魔せず、しかも自由な変化を持たせた、理想的な演出である。
 要所にはト書きをちょっと変えて、面白いニュアンスを持たせた演技を加えている。例えば第2幕、オックス男爵が傷を負う場面は、彼が無理して決闘に応じるのではなく、オクタヴィアンが手渡そうとした剣を逃げ腰になって払い落とそうとした瞬間に誤って手を傷つけてしまうという流れにし、オックスがオッチョコチョイな男であることを暗示した(このあたりのグロイスベックの演技もなかなか秀逸だ)。

 また第3幕の頂点たる、オクタヴィアンと元帥夫人の別れの場面も、ストヤノーヴァの簡単な動作の裡に万感のこもる演技は見事で、心理の機微をよく突いているだろう。とりわけ彼女が、ファーニナルの「若い者はみんなこうなんですかね」と語りかけるのに「Ja,Ja」とだけ答える有名な場面では━━2人は豪華な自動車に乗って舞台を横切って帰って行くのだが、そこで彼女はまっすぐ前を見つめたまま、オクタヴィアンをもはや見ようともしない。全ては終ったという諦めが、端整な悲哀の中に表現される。それは、なまじ表情たっぷりの演技より、はるかに観客の心を打つ。

 そして幕切れ、黒人の子供が元帥夫人の忘れたハンカチを探しにちょこちょこと出て来る場面━━私はどうもここは、それまでの感動の気分が殺がれて好きではないのだが━━は、今回は子供ではなく、夫人の召使の一人が探しに来て拾う。そしてそれを夫人に届けようと、ちょうど滑り出て来たあの「寝室のドア」の前に立ち━━思いつめたようにそれを愛しげに顔に当て、主人へのやるせない憧憬を表現する、という演出なのである・・・・これは素晴らしい光景だった。

 かようにクプファーの演出には、ト書きとはちょっと違う形で、実にうまく心理の機微を衝いている個所が少なくない。
 特に今回、私が最も感心したのはオクタヴィアンの性格表現だ。非常に細かく、ウィットに富んでいる。コッシュの演技の巧さにも舌を巻いた。
 例えば、オックス男爵に対する嫌悪と揶揄とを綯い交ぜにした態度。第2幕で、「いいですか、このお嬢さん(ゾフィー)はあなたが大嫌いなんですよ」と告げながら、威嚇か嘲弄か茶目か、ことさらに自分の顔をオックスの顔の前に突き出してみせるという演技。

 こうした気の利いた芝居のあとに、オクタヴィアンが終幕で、ゾフィーと元帥夫人との狭間にあって悩み、それが元帥夫人への申し訳なさと感謝とが綯い交ぜになる感情に変って行くという、あの場面が展開されるのである。このあたりでのコッシュの微細で表情豊かな演技は、もう一流の役者であった。
 一般の演出では、ドラマの主役は元帥夫人に設定されることが多いが、このクプファー演出では、主役はまさにオクタヴィアン(つまり「ばらの騎士」だが)に置かれていることが感じられる。それは、ただこのコッシュのような卓越した演技力を持つ歌手によってのみ、実現されるものであろう。

 全曲のクライマックスにおけるこうした感動的な光景。そして演奏の良さ。これ以上何を求める要があるだろう?

 終演は10時半過ぎ。小雨になった。今回のザルツブルク取材は、これで完了。ホテルで荷造り15分、翌日午後の便で帰国予定。
        ザルツブルク編別稿 モーストリークラシック11月号

コメント

お疲れ様でした。

お疲れ様です。

当初予定されていたメータだと、また違った演奏になったでしょうね。

先生は、ラストのハンカチシーンがお嫌いなんですね!私は逆にあそこが大好きなんです笑誰もいなくなった舞台。片目に笑い片目に涙、「すべては夢のように消えていく」ーシュトラウスとウィーンの精神ここに極まれり、ではないでしょうか。

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