2017-10

2015・8・19(水)ザルツブルク篇(6)「トーリドのイフィジェニー」

     モーツァルトの家  7時

 今回最も楽しみにしていた演目、グルックのオペラ「トーリドのイフィジェニー(タウリスのイピゲネイア)」。
 モーシェ・レイゼルとパトリス・コーリエのコンビによる新演出5回公演の、今日がプレミエ。

 配役と演奏は、アガメムノン王の娘イフィジェニーをチェチーリア・バルトリ、その兄オレスト(オレステス)をクリストファー・マルトマン、その親友ピラド(ピュラデス)をロランド・ビリャソン、スキタイの残虐な王トーア(トアス)をミヒャエル・クラウス、女神ディアーヌ(ディアーナ)をレベッカ・オルヴェラ、その他。ディエゴ・ファソリス指揮のイ・バロッキスティとスイス放送合唱団。

 2階正面最前列中央で聴く。イ・バロッキスティの音は必ずしも大きくないが、グルックの多彩な管弦楽法、特にレチタティーヴォとアリア等の密接な関連による劇的な起伏などは充分に再現されており、この作曲家のオペラの素晴らしさを堪能することができる。
 ファソリスの指揮も、予想したよりはドラマティックな動きがあって良いが━━ただしその指揮がレチタティーヴォとアリアの不離の流れに忠実であるがゆえに、個所によっては、ここはもう少しアリアが際立つように演奏してくれた方がいいのに、という感がないでもない。
 だが昨夜のヘンゲルブロックが指揮したバルタザール・ノイマン・アンサンブルと同様、ピリオド楽器オーケストラの美しい音色は、この音楽祭のマッチョな響きのオーケストラ群の中にあって、ひときわ清涼な印象を与えてくれる。

 歌手陣。役者はそろっていて聴きものだが、ただ、多少アンバランスな印象がなくもない。
 バルトリは、このジャンルでは、常に「決め」てくれる。彼女に関しては、文句の付けどころが無い。
 だがマルトマンは、ピリオド楽器のオーケストラ相手に、どうも吠え過ぎではなかろうか。情熱的でパワフルなオレストとしては面白いけれども、特にビリャソンとの声量的なバランスが、悪いのである。

 そのビリャソンは、もちろん十数年前に「彗星のごとく現れた」頃の輝かしさに比べると物足りない面もあるが、しかしこれならもう大丈夫だろう、と思わせる出来だ。だがそれにしても、彼もピリオド楽器オケに合わせる様式の声じゃない。
 またクラウスは、声の物凄さと荒々しい勢いとで随一で、いかにも「蛮族の王」(といってもネクタイに背広姿だが)にふさわしいものの、これもイ・バロッキスティの音に対しては怒鳴り過ぎだろう。

 結局、この3人の男声は、むしろ昔、プレートルがモダン・オケを指揮したレコードのような、超ダイナミックな演奏には素晴らしく合うだろう。━━というわけで、4人の主役の声はやや調和を欠くきらいはある。しかしこれはやはり、ぜいたくな話だろう。劇的で情熱的な歌唱の面白さ、と申し上げて締め括っておこう。

 演出は、何から何まで「例の如し」。
 圧迫感のある冷徹な部屋ですべてのドラマが展開、拘束された人々の生活が浮き彫りにされるが、ラストシーンでオレステスが解放される場面に至って、初めて舞台奥の壁が開け、自由な空気が流れ込んで来るという流れだ。
 全体に舞台は薄汚く乱雑で、オリジナルのト書きにあるディアーナの神殿前の雰囲気などとは全く違い、女たちの溜り部屋のような光景である。バルトリたち「尼僧」もジーンズ姿のカジュアルな服装だから、ギリシャ神話の高貴な世界とは完全に一線を画す舞台だが、まあ、それはそれでいいだろう。

 だが━━これは最近の欧州のオペラ演出の流行だから案の定という感だが━━トーア軍の兵士たちが、囚人(オレストとピラド)の頭から黒い布をかぶせ、殴る蹴るの暴行を加え、挙句の果ては小便をかけるといったような演技は、私は大嫌いだ。ましてや、オレストが処刑されかかるシーンで、全裸のマルトマンが手で前を隠しながら歌う光景など、おぞましくて見たくもねえよ、という気にもなる。
 今夜はプレミエゆえ演出チームもカーテンコールに現れたが、かなりブーイングもあったのがその場面の所為かどうかは判らない。

 ただしこういう演出は最近受けるらしく、先年エクサン・プロヴァンスでの「リゴレット」(カーセン演出)では、マントヴァ公爵がジルダを手籠めにしようと部屋へ向かう際にガウンを脱ぎ捨てて全裸になると、客席の中年女性客たちから笑い声と歓声と拍手が起こるというケースに出会った。私の世代から見ると、変な世の中になったものである。

 演技は、全体に詳細なものだ。「文明と野蛮、高貴な精神ないしは苦悶する魂と野卑な心といった対立」(エルンスト・クラウゼ、石井宏訳)を現代の市民の中に持ち込もうとする演出は、前出のいくつかの点を除けば成功しており、また共感できるものだろう。

 ただし、全曲の大詰めシーンは、何となく盛り上がりを欠いた。演奏もあっさりしていた上に、イフィジェニーがオレストの妹であるということが判明したため、オレストの無二の親友であり唯一の味方であることを自負していたピラドは気が抜けたのか、がっくりして「やる気をなくした」ようにも見えた。オレストもイフィジェニーも、尼僧たちも兵士たちも、すっかり疲れ切っているように見えた。
 ただ一人御機嫌なのは、突然現れて一同を強引に鎮めてしまった女神ディアーナである。己が所業に得意満面、といった表情だ。

 このラストシーンにおける人間たちの態度は、自分たちの「正義の闘争」に都合のいい時だけ干渉して来て、いかにも自分が生殺与奪の全権を握っているかのようなドヤ顔をしている「女神」なるものに、内心では反発していることの表われかもしれない。━━などというのは、舞台を見ていたこちらの勝手な印象である。

 終演は9時20分頃になった。劇場から出ると、折しも隣の祝祭大劇場での「フィデリオ」(最終公演)の休憩時間。ワイングラスを片手に寛ぐ人たちで、劇場前の広場は猛烈な雑踏だ。欧州の音楽会場での外人さんたち(いや、「外人」はこっちの方か)の牛歩状態にはうんざりするのだが、最近はその中を巧くすり抜けるテクニックも身に付いた。
 知人たちともはぐれたので、また「ナガノ」に入り、なじみの女将(彼女は中国人か?)たちと談笑しつつ、寿司とうどんの夕食を摂る。

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