2017-08

2015・8・17(月)ザルツブルク篇(3)ネトレプコの「トロヴァトーレ」

    ザルツブルク祝祭大劇場  8時

 ネトレプコのことばかりお騒ぎでないよ、と言いたくなるけれども、やはり彼女の存在が圧倒的なのだから致し方ない。第4幕前半など、ほとんど彼女の独り舞台のような趣を呈していた。とはいえその他の歌手陣も、ノセダ指揮のウィーン・フィルとともに素晴らしい演奏だったことは確かである。だが、演出は・・・・策に溺れた感あり。

 今年の「イル・トロヴァトーレ」再演のキャスト・スタッフは以下の通り。マンリーコをフランチェスコ・メーリ、レオノーラをアンナ・ネトレプコ、ルーナ伯爵をアルトゥール・ルシンスキ、アズチェーナをエカテリーナ・セメンチュク、フェランドをアドリアン・センペトゥレアン、イネスをディアナ・ハラー。ジャナンドレア・ノセダ指揮ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団。演出と舞台美術はアルヴィス・ヘルマニス、衣装はエーファ・デッセッカー。

 御承知のように、舞台は、絵画美術館に設定されている。
 オリジナルの筋書では、フェランドが兵士たちに悲劇の事件の発端について語り聞かせるところだが、この演出では、美術館のガイドが見物客に肖像画を示しながら、それにまつわる不気味な話を説明し、怖がらせて面白がる、という設定になった。

 そのあと、ドアの傍に不愛想な顔で座っていた番人のオバチャンが、その制服のままイネスの役に変わり、同じく制服姿で眼鏡をかけた「見るからに堅物」風の女性スタッフ(何とネトレプコ!)が出て来てそのままレオノーラ役に、同じく制服姿の男がルーナ伯爵役と化す。そして彼らは、次第に衣装を変えて、物語の中の主要人物に同化して行く、という設定だ。
 ただしマンリーコとアズチェーナはどういうわけか、最初に現れた時から扮装している。

 このあたりを観た範囲では、フム、劇中劇の手法か、そう来たか、と、その時には納得させられるのだが━━。
 そして、その後もドラマの中には、ラフな服装をした美術館見物客もそのまま交じるシーンもあり、また第4幕のレオノーラのアリアの前で、美術館の絵画のレイアウトを変更すべく大勢のスタッフが働いており、倒れているレオノーラを制服姿のイネスが確認したりなどというシーンもある。
 こういう、異次元の世界を同一平面上で共存させる設定は、バイロイトで以前上演されたドルスト演出の「指環」と共通するところもある。だが、あそこまでは徹底していないな、などと思いを巡らせるのだが━━。

 とにかく、こういう設定なら、ラストシーンでは旧の美術館と、そのスタッフの姿に戻るんだろうな、と予想もしたが、さすがにそんな見え透いた手法は採られなかった。最後は、物語の扮装のままでマンリーコはフェランドに咽喉をかき切られて殺され、アズチェーナはルーナ伯爵を呪って勝利の凱歌を上げるという流れになる。
 結局これは、美術館のスタッフが物語の登場人物に同化して架空のドラマを演じるというより、元々スタッフ同士間にあった恋の鞘当や恨みつらみが、演じているうちに暴発した━━レオンカヴァッロの「道化師」のように━━と解釈せざるを得まい。だがそれならそれで、制服のまま、「ある絵画美術館での出来事」として最後まで押し通せばいいではないか、ということにもなるのだが・・・・。

 第3幕の幕が開いたところで、「一般見物人たち」が衣装を変えて兵士たちやジプシーに扮装する場面を見せたりするのだが、こういうことをやるから、紛らわしくなる。
 いずれにしても、あまり洗練された演出ではない。小細工を利かせた野暮ったい演出である。飾られた大きな絵画だけが豪華に見える、という舞台である。

 歌手陣。
 ネトレプコの歌唱と存在はいよいよ重みを増した。90年代後半のマリインスキー時代から彼女を聴き続けて来た者にとっては、もはや別人のような感を抱かされる。第4幕の「恋はばら色の翼に乗って」のソット・ヴォーチェの見事さなど、昔のネトレプコにはなかったものだ。低音域にも、凄味のようなものが加わった。カヴァティーナが終ってからもしばし拍手は鳴りやまなかったほどである。
 名札を付けた制服に眼鏡をかけた扮装のネトレプコなんてのは滅多にお目にかかれるものではなく、結構野暮ったいオバチャンに見えるのもご愛嬌だろう。

 マンリーコのメーリは、「恐ろしき炎を見よ」の最高音だけはちょっと苦しかったとはいえ、それ以外での声の伸びは素晴らしく、快調な出来であった。
 ルーナ伯爵のルシンスキも、悪役的な迫力を利かせて、上々の歌唱である。当初予定されていたドミンゴだったら、こういう陰惨な表現はちょっと無理だったろう。セメンチュクが歌うアズチェーナも、堂に入ったものだ。

 そして、ジャナンドレア・ノセダの指揮。かなり柔らかく叙情味が濃い演奏のように感じられたのだが、これは1階席右側11列47番という、ほとんど右端の席で聴いたせいか。中央後方、あるいは2階席で聴いたら、もう少し異なった印象を得るかもしれない。
 しかし、彼の指揮は瑞々しく温かく、押しつけがましい扇情的な劇的誇張がないのが特色である。ウィーン・フィルの豊麗な音色も印象に残った。

 このプロダクションは、今夏は4回公演。今夜が最終公演であるだけに、カーテンコールでは例のごとくネトレプコが大はしゃぎ。この明るさとヒョウキンさも、彼女の魅力なのである。その他の歌手たちも、大いに華やいでいた。

 終演はちょうど11時。外は霧雨、やや寒い。

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