2017-08

2015・8・4(火)PMFオーケストラ 東京公演

    サントリーホール  7時

 プログラムは前日と同じ。
 マスレエフのアンコールも━━順序は逆だったが━━前日の演奏会の時と同じ2曲。結局、チャイコフスキーの「トレパークへの誘い」は4日連続して弾いたことになる。彼、ほかに持ちネタはないのかしらん? だがそのソロの音色に関して言えば、使用ピアノのせいか、札幌での初日と同じような清々しさを取り戻していた。

 ショスタコーヴィチの「10番」は、少なくとも聴いた感じでは、前日の演奏からそれほど大きく変わったという印象は受けない。とはいえ、それなりに仕上がった演奏であったことは確かであろう。
 これに対し「ウィリアム・テル」序曲は・・・・相変わらず、もう少しはじけてくれないと、ロッシーニの洒脱さは出て来ないな、という感だ。

 オケに自主性が欲しいのはもちろんだが、ゲルギエフの指揮からして、この選曲はやはり適切ではなかったのではないか。というのは、彼の指揮は、ショスタコーヴィチの交響曲でなら、ピアニッシモや緩徐個所での緊張感をたっぷり保持し、しかもそれがクライマックスへ向かう際のクレッシェンドやアッチェルランドも実に見事に、音楽全体を鳴動させつつ盛り上げて行くという大技をあれほど発揮するのにもかかわらず、「ウィリアム・テル」序曲では、その勢いをさっぱり感じさせないからである。

 それにしても、今年のPMFオーケストラの演奏は、よくいえば生真面目で几帳面、でなければ、自主的なひらめきに乏しいものではなかったろうか。
 いつものゲルギエフだったら、もう少し音楽に色彩感と熱狂性があり、最後も音楽を轟然と響かせて締め括るという派手な演出をやるものだが、今回はそれらがほとんど聴かれなかった。

 アカデミー生にそんなことを要求しても無駄だと? いや、先にも書いたが、何年か前にゲルギエフがPMFに来て、チャイコフスキーの「第5交響曲」やショスタコーヴィチの「交響曲《1905年》」を演奏した時には、その年のアカデミー生のオーケストラは、プロをもしのぐ出来栄えを示していたではないか。
 ゲルギエフだけではない、一昨年、準・メルクルが「幻想交響曲」を指揮した際にも、オケは湧き立つ演奏を聴かせたのではなかったか? 
 それらを考え合わせると、今年のPMFオーケストラの水準には、残念ながらかなり問題があったとしか言いようがない。芸術監督の滞日日数とその練習時間などを含めて、来年の改善が望まれるところだろう。

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