2017-10

2015・8・1(土)PMF GALAコンサート

     札幌コンサートホールkitara  3時

 数年ぶりに、札幌のPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を、現地へ聴きに行く。

 7月12日に開幕した第26回PMFも、大詰めに近づいている。今日はその締めくくり公演の一つ、「ガラ・コンサート」だ。第1部が室内楽や声楽、第2部がワレリー・ゲルギエフ指揮PMFオーケストラの演奏、という構成である。各20分ほどの休憩3回を含み、実に5時間を要する長尺ものとなった。

 第1部では、天羽明惠が進行役を務めた。
 まずPMFアメリカ・ブラス・メンバーとPMFオーケストラ・ブラス・メンバーで、デュカスの「ラ・ペリ」のファンファーレで開始されたが、これはあっけない。
 続いて天羽自身が「ホフマン物語」の「オランピアのアリア」を演技込みで歌い、聴衆を面白がらせた(ダニエル・マツカワ指揮PMFオーケストラが協演)。この時「人形にネジを巻く」役として一緒に登場した芝居気たっぷりの紳士は、PMF理事長と紹介された━━ということは、上田文雄さん(前・札幌市長)にほかならない。こんな茶目な方とは知らなかったし、何年もお会いしていなかったので、すぐ氏とは判らなかった。

 続いてPMFアメリカ(METオケ、フィラデルフィア管、シカゴ響などの首席指揮者たちからなる教授陣)が中心となり、プーランクの「六重奏曲」を快演、ただし、音楽の味よりも見事な腕前の方が印象に残るといった演奏だったかもしれない。入れ替わりにPMFのヴォーカル・アカデミー生5人がオペラのアリアを披露したが、その際、われわれの世代には実に懐かしいソプラノ、ガブリエラ・トゥッチが教授として元気な姿を見せ、陽気にスピーチをしてくれたのは、思いがけない喜びだった。

 そのあとにPMFオーケストラの弦楽セクションが、ライナー・キュッヒルをリーダーにモーツァルトの「ディヴェルティメントK334」からの3つの楽章を演奏、実はこれが第1部の中では最も聴きごたえのあった演奏と言ってよかったようである。
 そして最後が、PMFオーケストラによる近年の定番、田中カレン編曲の「PMF讃歌」━━ホルストの「木星」(ジュピター)に歌詞をつけた曲だ━━をゲルギエフが指揮、天羽が聴衆を指導して一緒に歌わせるという趣向だった。ただし、オケの後ろに並んだPMF祝祭合唱団〈北大の合唱団との由〉は声量がなくて全然聞こえないし、またぶっつけ本番同様の演奏とあって、単にお祭り的なものに終始した。
 これが終ったのが、ちょうど5時半。

 第2部が、横浜(3日)と東京(4日)でも行われる、ゲルギエフとPMFオーケストラのシリアスな演奏会である。
 だが、率直に言うと、前半で演奏されたロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲と、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」は、過去のPMFオーケストラのいかなる水準に照らしても、もう少し頑張ってもらわねば困るという類のものだった。弦の響きは薄く、金管はホルンをはじめ不安定である。何より、オーケストラの演奏に張りも昂揚も生気も自主性も不足しており、いったいこれが1カ月もの間研鑽を積んだ若者のオーケストラの仕上げ公演なのか、と疑いたくなる気持になったほどだ。最終の東京公演までには何とかまとまるのかな、という危惧を抱いたまま聴き続けたのが正直なところである。

 しかし、ソリストとして登場した今年のチャイコフスキー国際コンクール優勝者であるディミトリー・マスレエフは、第2楽章後半のカデンツァあたりから、ノリの悪いオケのサウンドの中から抜け出し、澄んだ音色と、見事な緊張感を備えた「間」の取り方を発揮して、本領を垣間見せたように思う。ソロ・アンコールで弾いたチャイコフスキーの「トレパークへの誘い」が若々しく清涼で、聴きものだった。

 後半のショスタコーヴィチの「交響曲第10番」で、御大ライナー・キュッヒルがコンサートマスターの椅子に座り、その他各パートのトップに教授陣がずらりと顔をそろえるに及んで━━オーケストラは、生気を取り戻す。
 ゲルギエフの指揮もここでは緊迫度を増し、彼らしい巨大な起伏感を発揮するにいたった。ショスタコーヴィチの名のモノグラム(D-Es-C-H)や、恋人エルミーラのモティーフをこれほど明確に浮き彫りにし、この交響曲の中心テーマを強調するように演奏した例は、そう多くはないだろう。これなら、この曲での演奏は日を追って更に練り上げられ、一つの完成の段階にまで達することができるのではないかと思われる。

 もっとも、かつてゲルギエフがPMFで指揮したショスタコーヴィチの「交響曲第11番」や、チャイコフスキーの「交響曲第5番」が、札幌での公演の時からすでに完成段階に達していたことを思えば、今日の「第10番」は、未だ物足りないところが多いと言わざるを得まい。
 これは、ゲルギエフとオーケストラの事前の練習時間の少なさも影響しているかもしれない。だがそれよりむしろ、オーケストラ自体に、昔のアカデミー生が持っていたような若々しさや熱狂度が,些か薄れているのではないかという危惧を、ステージ上の光景から感じてしまうのだ。前半の2曲における、ある弦楽首席奏者の、気乗りのしないような表情と動作もその一例。とりわけ、すでにチューニングが始まろうとする頃になっても楽員が遅れてバラバラとステージに入って来るなどというのは、オーケストラとしての規律がなさすぎるだろう。

 ホールは、ゲルギエフ指揮の第2部になった頃には、文字通り満席になっていた。8時終演。

コメント

オケのすぐ後ろだからいくら大声で歌ってもオケに掻き消されて聞こえないのです。
まあ何であれお祭りでしょうけど。

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