2017-06

2015・7・26(日)長崎県オペラ協会 錦かよ子:オペラ「いのち」

      新国立劇場中劇場  2時

 2013年8月31日に長崎で初演された、錦かよ子作曲、星出豊芸術監督の台本・演出・指揮によるオペラ「いのち」。
 あの上演の際には私も誘われたけれども、あいにくバイロイト→松本→ザルツブルクと続いた旅行から帰国する日に当たっていたため、観に行くのを諦めた経緯がある。

 今日は新国立劇場地域招聘による東京公演の2日目。
 指揮は同じく星出豊。原さとみ(中沢夏子)、藤原海考(松尾邦夫)、大石洋史(山田昇)、富永宏美(岩村女医)、村岡恵理子(山田トシ)、高原佐喜子(奈々子)他、九州・東京などの歌手が多数出演していた。管弦楽と合唱はOMURA室内合奏団、長崎県オペラ協会合唱団、同児童合唱団。

 オペラは3幕構成。第2幕は1945年の原爆投下の場面、第3幕が1959年のグラバー邸および病院の場面となり、後者では愛し合う松尾医師と被爆者・中沢夏子との苦悩が描かれる。

 星出豊の台本は、自然体の会話をも多く取り入れた、人間的な機微に飛んだ感動的なものだ。聴き手にとっては、非常な精神的重圧を受ける内容の物語である。
 だが、それに付けられた錦かよ子の音楽は、むしろ叙情味が濃く━━歯に衣着せで言えば、些か感傷的で、甘い。それゆえ、あたかも一種のホームドラマ的なオペラ、もしくは映画音楽か何かのような印象を受けてしまう。
 「市民オペラ」としての性格に徹底するなら、それも一法かもしれず、それでもいいのかもしれない。だが、それが、原爆投下と原爆症という、あまりに恐ろしい悲劇的な心痛む内容を持ったシリアスなオペラの音楽にふさわしいのかどうか? 保科洋の「はだしのゲン」と、もう一度比較してみたい気もする。

 「グラバー邸の場」では、プッチーニの「蝶々夫人」の音楽がかなり引用されていた。それ自体は、悲劇的な二つの場面の間のインテルメッツォ的な性格をつくり出すものとして、悪くない手法であろう。。

 紗幕を活用した舞台は、なかなか美しい(美術・川口直次、照明・奥畑康夫)。原爆投下後の悲惨な場面における踊り手の使い方も興味深く、幕切れで避難して行く夏子と奈々子を追って、踊り手たちがかぶった大きな白布が動いて行く光景は、不気味で幻想的で、効果的だった(ただ、物陰へ消えないうちに、ダンスを止めて歩き出してしまってはいけない)。夏子の病室の場面は、「椿姫」の影響を受けているように思われる。

 これはご愛嬌だろうが、グラバー邸見物の「観光客」たちが、福砂屋の袋を持ち、「カステラも美味しかった」と歌っているのにはニヤリとさせられた。プログラム冊子をめくってみると、たしかに福砂屋の広告も載っている(福砂屋のカステラは私も大ファンなので━━とりわけあの「五三焼」!)。そういう舞台の光景は、穴弘法寺とか、背景の山々の木々とか、浦上天主堂などとともに、地元の観客の心に響くものだろう。以前、清水脩の「吉四六昇天」を大分で観た時に、私もそういう「ご当地もの」感覚への共感を覚えたこともあるが・・・・。

コメント

長崎公演見てきました

2013年の初演長崎公演と、本日の長崎公演を見ました。
東京公演が成功した旨、出演者より聞いておりましたが気になっておりました。
記事を見つけて長崎人でない方の客観的なご感想を読み、なんだか安心しました。
私はオペラ鑑賞歴が浅い上に現代オペラとなると評価がわからないので、参考になりました。
ストーリー、音楽、演者の技量、などいろんな事を考えながらこの舞台を見ましたが、古典オペラと違って、被爆者・戦争と平和・宗教的歴史と長崎…などいろんな要素をテーマに持っていて非常に重たく、2回目でやっと少しこのオペラの言いたい事が分かった程度です。ただ前回同様に長崎県人としての宿題を課されたのは残りました。

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