2017-06

2015・7.16(木)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

    サントリーホール  7時

 ストラヴィンスキーの「管楽器のための交響曲」(1947年版)、バルトークの「ピアノ協奏曲第1番」(ソロはデジュー・ラーンキ)、ベートーヴェンの「交響曲第5番《運命》」という、ちょっとユニークなプログラム。いかにもノット&東京響の定期らしくて、新鮮だ。

 ストラヴィンスキーの冒頭は、シャープで切れ味鋭く開始された。現代音楽のレパートリーにおけるノットの鮮やかな感性を覗わせ、これを受ける東京響の張り切った良さがわれわれにも伝わって来る。

 ただ、バルトークのコンチェルトに入ると、全管弦楽の音が━━指揮者のすぐ前に配置されたティンパニなど打楽器セクションの音さえもが、ホールの長い残響の中で、そのシャープなリズム感をかなり薄めてしまう傾向があった。2階席正面で聴いていたのだが、あのラーンキの魅力的なソロも、オーケストラに埋没してしまうように思われた。まるで、ピアノのオブリガート付きの交響曲のような感が━━というのは少々オーバーかもしれないが。

 ベートーヴェンの「5番」も同様。実はノットが指揮するからには、もう少し鋭角的で、闘争的な、現代音楽的な演奏になるかと思って期待していたのだが、弦のテュッティなどが意外になだらかに聞こえて拍子抜け。
 たしかに、音の厚みは充分だし、密度の濃い演奏だったし、特に第4楽章コーダなどでは音楽が強固に聳え立って、堂々たる終結に導かれて行ったので、それはそれでよかったのだが━━。演奏自体に不満があったわけではない。

 これらは、ミューザ川崎シンフォニーホールでだったら、もっと違うイメージの演奏に聞こえるだろう。このあたりに、ホールのアコースティックの複雑な問題がある。ホールは楽器の一部である。もしかしたら、このノットと東京響の演奏は、ミューザ川崎の響きの中でこそ、本来の真価を最大限に発揮するのかもしれない。

コメント

ミューザのノット

ラーンキのバルトークを聴きにミューザに行ってきました。(1階C中央にて)
当然「第五」もミューザで聴きました。でもイマイチというかイマニの印象。ノットはこの「第五」に何を込めたかったのか、私にはよく分かりませんでした。東響のアンサンブルも必ずしも万全で無く、このオケの本拠地である筈のミューザでは所々雑に聴こえました。リハーサルはすべてミューザでやっているオケなのに、実に不思議なことです。

サントリーで駄目だった演奏は、細大漏らさず表現してしまう厳しい音響のミューザでは、もっとダメでしょう。逆にミューザでダメだった演奏が、サントリーでは何となく厚みが感じられたりして、適当にごまかされて聞こえるという体験ならば、いくらでも体験していますが。

指揮者の比較になりますが、比較的最近ではスクロヴァチェフスキロ読響や、広上淳一読響、ノセダN響など、現代にこの曲を演奏する意義を問う括目すべき表現を幾つか体験しています。ノットの真価はきっと、ベートーヴェンとは別の所にあるのでしょう。

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